神の詫び石 ~日常系の異世界は変態メガネを道連れに思えば遠くで草むしり~ 208
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回収続行シュピレンの街編
208 交渉
決定的な明言こそ避けたが、人買いが我々に見せてくれたのは商人として最大限の配慮だったとのことだ。
商人は信用を重んじる。信用問題に関わるとなれば、ある程度の損は飲むほどだ。
いや、もちろんお金も大事だ。しかしお金で信用は買えないし、信用がなければ稼げない。そう言う意味ではしっかりと、商人らしい損得勘定はしている。
しかし顧客の情報を不用意に明かすのは、どんな商売にも共通する禁忌だ。
それを曲げ、それなりのリスクをおかして人買いの女はテオの売却先を教えてくれた。
理由はよく解らない。
ここまで一緒に旅した私たちに対し、いくらか情を持ってくれたのか。それともなにか、別の事情でもあったのか。
たもっちゃんだけは満足そうに、多分俺のお陰だと、人買いに同行した旅の間中、あったかいごはんを作り続けた自分を自分でほめたたえていた。
その真偽はともかくとして、とにかくこうして我々の取るべき方針は決まった。
フェアベルゲンをブーゼ一家に売ると告げると、別の組織の構成員はキレた。
主にシュタルク一家のクレメルと、ハプズフト一家のゼルマだ。
ファラオ顔の少年と種族さえよく解らない汗かきメタボのおっさんはチンピラをまじえてぎゃんぎゃんと我々を恫喝したが、ラスはそんな彼らをシカトした。そして余裕たっぷりに、機嫌よく商談を進めようとした。
その感じが火に油をそそいでいるような気もするが、彼らは元々仲が悪そうなので多分わざとなのだろう。
フェアベルゲンの素材を売り渡すに当たり、我々は当然条件を出した。
人買いが仕入れて運んできた商品。つまりはテオを、こちらに返してもらえないかと。
もちろんそのぶんの代金は払うし、フェアベルゲンの値段についても考える。
テオが魔法で交わした契約は、人買いが彼を客に引き渡すまでの拘束についてだ。その間は逃げると死ぬが、それ以降についての条件はない。と言うか契約の効力が終わる。
だからテオを引き取った先の、ブーゼ一家から買い取る形なら問題はなにもないはずだ。
しかし、そんな話を目の前で聞いて、テオと人買いは頭をかかえた。無口なバイソンの男でさえも、自らの大きな厚い手で両目をふさいであからさまに首を振る。
そのあきれ果てたような、落胆したような。
なんかもう「終わった」とでも言わんばかりの空気はさすがに、たもっちゃんと私にも解った。
「えっ? えっ? 何? 何なの?」
「言って。もういっそ言って。私らそう言うの解んないから。なんなの? 言って」
今さらあわて始めた我々を、想像するよりひどい言葉で人買いの女がばっさりと切る。
「ここまでボンクラとは思わなかったさね」
ひどい。
フェアベルゲンの素材を代価に、我々がラスに持ち掛けたのは交渉だった。
そして交渉をするのなら、手の内を見せてはいけなかったらしい。
今回の場合は、テオのことについてだ。
テオを返して欲しいから、素材も渡すしなんならこちらからお金も払う。
そんなふうに相手に言ったら、どれだけ取り戻したいかを伝えてしまうことになる。そうしたら、もうそれはこちらの弱みでしかないのだ。
実際、我々がテオの連れであり、テオを取り戻したがっていて、そのテオはすでにほとんどブーゼ一家の持ち物であると知った時。
舌なめずりするヘビのようなよろこびを、ラスは隠そうともしなかった。
ブーゼ一家の要請を受けて人買いがなんのために腕の立つ者を探していたのか語って聞かせ、縁とは解らないものだねと、優しげな男は上機嫌に笑んだ。
そのなかなかに悪い顔を見て、やっと、これはもしかしたらまずいかもと遅ればせながらにうっすら思う。
こりゃー骨の髄までしゃぶり尽くされるやつやで。
「では、買い取りの値段はこれでどう?」
「おい待てよブーゼの。そりゃねえだろうよ」
「そうですよ。卸値の半額以下じゃないですか。ブーゼ一家の幹部ともあろう者が、買い叩くとは感心しませんねえ?」
チンピラを引き連れた少年とおっさんがラスの手元を覗き込み、なぜか提示価格に文句を付けた。それでも金貨六十枚ほどになるのだが、これはどうも安すぎるようだ。
「半額以下なの?」
「買い叩かれてるの?」
たもっちゃんと私がねえねえどうなのとラスのほうを見ると、えげつない安値を付けたらしい当人はそれがなにかと言った感じで「ん?」と笑って首をかしげた。つよい。
「もう良い、やめてくれ」
これはもうダメだと、音を上げたのはテオだった。
値段を決めているだけにと心の中で思ったが、私もさすがにダジャレは控えた。
テオはその形のいい眉をくっきりとしかめ、少し顔をうつむける。そして静かに、どこか重たく、ため息をついた。
「テオ?」
たもっちゃんが呼ぶと、彼は灰色の瞳を痛そうに細める。
それから自分の唇をぎゅっときつく引き結び、罪を告白するように言った。
「悪かった。おれのせいだ。こんな所までお前達を連れてきてしまった。もっと早く、見切りを付けさせなければいけなかったのに。最後に、もう少しだけ……一緒に旅をしたいと思ってしまったんだ。だが、もう良い。もう終りにしよう。おれの事は抜きにして、適正な値段で素材を売って去ってくれ」
そして、自分のことは忘れて欲しい。
奴隷の身になった今、もう共にいることはできない。この状況を招いたのは自分だし、選んだのも自分だ。役割は果たす。誰かに助けて欲しいとも願わない。
だから、もう、いいのだと。
テオは自らをいましめる魔道具の首輪に指で触れ、覚悟を思わせる表情を浮かべて私たちに向き合った。
きっと、ずっと考えていた別れの言葉だったのだろう。
そんな悲壮な心の内を明かされて、たもっちゃんと、私は――。
「いや、そう言うんじゃないから」
「うん。こっちもテオ連れて帰らないと、なんか色々やべー気がするだけだから」
なんか誤解があるんだなと、二人で一緒に首を振って拒否した。
そもそも、テオがやべえことになったのは荒野の果ての砦の件で、もっと言うならその場に我々がいなかったからだ。我々と言うか、戦力的には大体うちのメガネだが。
ではちょうどその頃にこちらはなにをしていたかと言うと、大森林のエルフの里で花の毒にしびれたりとんこつのようなスープとの邂逅を果たすなどしていた。
もしくは、そのあとで会いに行ったアーダルベルト公爵にもうちょっとテオのこと思い出してあげてと同情いっぱいに言われたり、王都で立ちよった高級菓子店で劇的な再会を果たした隠れ甘党のヴェルナーにテオのことを聞かれたりしていた。
思えばあの時、すぐに様子を見に行くかガン見したりしておけば、こんなことにはならなかったような気がする。
その辺については我々もまあまあ胃がキリキリするし、正直今は、割と無事に生きててくれてこっちも九死に一生の気分だ。もう離さねえからな。多分。
あと、この状況が伝わると常識人と言う意味でテオに親近感を持っている我々の保護者のような公爵や、実質的にテオの保護者であるお兄さんとその部下たちからものすごく怒られると思うんだ。その前に事態を収拾し、大丈夫でしたけど! とか言い張りたいの。
その辺の詳しいことはまた改めて話すことにして、我々は大体の意向を伝える。
「ダメなんだよ、私らも。テオを無事に連れ戻せないと、もう戻れないんだよ。あの国には多分」
「それにさー、もうこれ以上なんかあると嫌だし。だからまぁ、いるよね。テオが解放されるまで」
もうホント、テオって意外と心配で一人にできないんだもんね。と、私とメガネは完全同意ではきはきと告げる。
その言葉を聞きテオは、信じられないと言う顔でぱくぱくと口を開いては閉じる。
言いたいことが山ほどあるが、あまりのことでなにも言葉が出てこない。そんな状態だったのだろう。
まあ、解る。今までどちらかと言えば我々が、ふらふらしてて目が離せないみたいなことをテオに思わせてきた側だ。
彼は助けを求めてレイニーを見たが、彼女は気の毒そうな顔をして首を横に振るだけだ。人買いたちはそっと頭ごと視線をそらし、我々のことを知らないはずの三つの組織の面々ですら同情のようなものを表情に浮かべた。
だが、まだそれはいい。私は納得してないが、相手は大人だ。なにか思うところがあるのかも知れない。しかし。ふと。
金ちゃんの肩から全身を伸ばすようにして、子供が小さな手の平を伸ばした。そしてその手はおずおずと、テオの頭に優しく触れた。
その、まるでなぐさめているかのような。
幼く、どこまでも純粋な憐れみが。
恐らくテオに最もダメージを与えたと思う。
つづく