神の詫び石 ~日常系の異世界は変態メガネを道連れに思えば遠くで草むしり~ 318

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右の靴だけたずさえて編

318 優しい心得

 ある種の私利私欲とでも言うべき諸事情で、我々はいそいそと砂漠の集落をあとにした。
 そして空飛ぶ帆船を飛ばしても半日近いピラミッドまでの道のりを、カレーのにおいにまみれてすごすことになる。
「たもっちゃんさあ」
「カレーの極意を……カレーの全てをミスカに伝えるんだ……!」
 空飛ぶ船の風を防ぐ障壁の中、カレーの鍋をかきまぜながらどことなく目をぐるぐるさせてうわ言のように唱えるメガネ。
 その隣には甲板にどかりと置いた油のコンロの火の上でぐつぐつ煮える大鍋を覗く、黒衣の男の姿があった。ミスカだ。
 カレーの極意ってなんだよと思わなくもないのだが、その全てを伝授されるらしき本人はなんだか凛々しい顔をしていた。なにもかも余さず学び取らんとする気概が、どことなくかもし出されているように見えなくもない。
 私はそんな二人を見ながらになんだこれはと心の距離を感じたが、真のカレーの民であるミスカが最初にカレーと出会った現場に居合わせて以来、自分のお目付け役でもあり少し年上の同胞の新しい一面を見せられ続けている黒衣に身を包んだ青年のシピも、なんだこれみたいな顔で引いていた。
 人間てなぜか、ムダに意外な顔を隠し持ってる時があるよね。
 戸惑う気持ちも解りはするが、実はその隠された一面こそがその人を人間たらしめていることがたまによくある。例えばエルフを信仰するメガネとか。
 なので法に触れず迷惑すぎない場合にはそっと泳がせておこうなと、私はオタクに優しい心得をシピに吹き込むなどしながら時間を潰した。
 そんな我々をまとめて乗せて、船を飛ばすのはレイニーだ。カレーの伝道に忙しいメガネにおやつで買収されている。
 船首にはなぜか誇らしげに仁王立ちする金ちゃんがいて、その後ろ。一段下がった甲板でテオが筋トレを始めると、所在なさげにしていたシピが参加した。
 シピは多分することがないからなんとなく一緒に筋トレを始めただけだと思うが、最後のほうには「好きな子とその保護者に認められたくて、だから強くなりたいんです」みたいなことをテオに相談するように打ち明けていて筋肉のコミュ力ってすごいなと思った。
 筋トレ班から一番高いマストをはさみ、船尾側の甲板でカレーをぐるぐるかきまぜる二人。の、ほど近く。船体をぐるりと囲む手すりの下では、だらりと体を長く伸ばして二匹のネコが寝そべっていた。
 白いほうがシピの、赤と茶のまだらの毛皮がミスカのネコだ。
 大人の男を余裕で乗せられるほどだから、サイズ的には巨大な猛獣感がある。
 そのでっかいネコに何度かトライした結果、私がはあはあ近付くとネコ様はでっかい前足で容赦なく潰しにくると言うことが解った。
 まあそれもかわいいし巨大な肉球に潰されるのも別に全然悪くはないのだが、ネコ様が嫌がっていることを強要してはいけない。
 後ろ髪を引かれつつ、私はシュピレンで買った一口の油コンロを甲板に置き、お茶を煮出しながらに眺めるに留めた。
 だが、少しして。
 甲板に片膝を突いた格好でカレーの鍋に張り付き動かないミスカに、じゅげむがおずおずとなにかを話し掛けていた。
 ミスカは孔雀緑のあざやかな瞳をやわらげて、「挨拶して、自分で尋ねてごらんなさい」と子供に向かって優しく答える。
 その返事におどろいたのか、じゅげむはぽっかり開いた瞳をぱちぱちと瞬く。
 それからきゅっと唇を結ぶと、視線を自分の足元へ落としてコクリと小さく、しかし強い意志を思わせる様子でうなずいた。
 じゅげむは意を決したように甲板の端で体を伸ばし、だらりと液体のように寝そべるネコにおそるおそる近付くと、子供の歩幅で二歩ほど残して立ち止まり自分の膝をかかえるようにちんまりとしゃがんだ。
 そして「こんにちは、じゅげむです」と小さく神妙に挨拶をする。
 二匹のネコは寝そべったまま大きな体で小さなじゅげむを見下ろして、一方はぐるぐる低く喉を鳴らし、一方はゆっくり細めるようにまばたきして見せていた。
「ちょっとだけ、さわってもいい?」
 屈めた体を横にかたむけじゅげむが問うと、まるで返事をするように。
 巨大なネコの大きな頭がぬっと近付き小さな体に押し付けられた。じゅげむが「わ、」とよろめいたところへ、もう一匹が喉を鳴らしてすんすん鼻を近付ける。
 そよそよとネコの長いヒゲが触れ、床にぺたりと座ったじゅげむがくすぐったげにうへへと笑った。
 猛獣のように大きなネコと、おっかなびっくりの小さな子供。
 優しくいちゃつくその様に、大半の大人がほんわりほほ笑ましげにする中でうらやまかわいいと私だけがのた打ち回る。
 そんな感じで大体は、アバンチュールも怪事件も起こらずカレーと筋トレと嫉妬にまみれた船旅となった。

 ネコの村の族長の、名代としてシピとミスカは新しい砂漠の住人の人となりを確かめにきた。
 はずだった。
 が、レイニー先生の操縦により我々を乗せた帆船がピラミッドへ到着する頃になると、なんかもう訳が解らなくなっていた。
 メガネと一緒になって数時間掛けて煮込んだカレーを、自慢の子供だから見てくれとばかりに手当たり次第ぐいぐい勧めてくるミスカ。
 おりたばかりの帆船を、いいなあいいなあとあらゆる角度から眺め回すのに忙しいシピ。
 多分だが、彼らも当初の目的を見失い始めているように思う。
 シピはどうやら船の速度におどろいたようで、「この船があれば、水源の村とももっと行き来できるのになぁ」みたいなことを言ってたが、これはあんまり正しくはない。
 普通に売ってる普通の船を買ってきて、メガネやレイニーが魔法のゴリ押しで飛ばしているだけなのだ。船本体の性能ではない。
 だが船を絶賛されるのがまんざらでもないメガネによってその事実は秘匿され、やっぱりシピはいいなあいいなあとなで回す勢いで船を眺めた。
 鉄甲船の外装に貼り付けてある鉄板が、真夏の砂漠の熱を吸い肉が焼けそうな高温でなければ実際なで回していたかも知れない。
 そんな砂漠の民の近くでは、でっかいネコにはさまれたじゅげむが全然嫌じゃなさそうに、ベルベットのようになめらかな毛並みに自分からもみくちゃにされに行っている。
 たもっちゃんはまだ言い足りない様子でカレーの話をし続けて、ミスカがそれを一言一句聞き逃さないよう真剣に丁寧に受け取っていた。
 船を飛ばした見返りのおやつをまだ食べているレイニーがお腹を空かせた金ちゃんに絡まれていたり、じゅげむがネコたちをゴロゴロ言わせているすきを突いて忍びよりそっとまざろうとしたものの巨大なクリームパンみたいな前足を背中に受けて砂漠の砂にちょっと埋まった私のことをなにやってんだとテオが掘り出してくれたり。
 そんな誰もなにも人の話を聞いていない混沌とした状況に、隠匿魔法を強めに掛けて大ピラミッドから出てきたツィリルが「えぇ……?」と聞こえてきそうな戸惑いの顔で、金と茶色の入りまじる不思議な瞳をなんとはなしに嫌そうに細めた。

 一応は、たもっちゃんがこれから人を連れて行くと通信魔道具でツィリルらに連絡はしてあったそうだ。
 ご近所への挨拶は大事だからと説明されて、緊張しながら待っていたらこれである。ツィリルがああ言う顔になるのも解る。
 しかも本題の、砂漠の民たるハイスヴュステの若者たちとそうとはまだ知られてはいないが比較的ご近所になった魔族との対面自体はあっさり終わった。
 終わったと言うか、彼らの間に立ったのはメガネだ。そしてメガネにコミュ力はない。
 だからツィリルとシピとミスカの名前を双方に紹介し合っただけで、俺の役割は見事果たしたみたいな空気を出した。
 それでもなんとかなったのは、戸惑いつつも本人たちがお見合いのようにぎこちなくコミュニケーションを取っていたからだ。
 ツィリルは、静かに暮らしたいだけだし、なるべく関わらないようにする。けれどもなにか迷惑を掛けたらその時は言って欲しいと、黒衣の二人に頭を下げた。
 二人の姪たちがいることはまだ明かすつもりはないようだったが、それ以外の部分ではかなり誠実な姿勢に見える。
 シピとミスカはその真摯な挨拶を真っ直ぐに受け取り、こちらもよき隣人になりたいと両手であつく握手を交わした。
 恐らく双方の素直さにより成立したこの対面は、黒衣の客たちが船をおりて割とすぐ。
 だから大中小と三つ並んだピラミッドの存在や、一番小さなピラミッド周辺の植物の豊かさに彼らがおどろくのはそれからのことだ。
 ピラミッドはなんとなく視界に入ってはいたが、近付いてみるとあまりにも巨大で、山かな? と思っていたらしい。
 シピとミスカがおどろきと感嘆を隠しもせずに表して、俺が作りましたみたいな感じでメガネがちょっと自慢げだった。

つづく