神の詫び石 ~日常系の異世界は変態メガネを道連れに思えば遠くで草むしり~ 345

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エルフの里に行くまでがなぜかいつも長くなる編

345 箱入り貴族
(※川での水難事故について描写があります。ご注意ください。)

 宿敵とはなんだったのかと思いはするが、ミオドラグと行動を共にすることは意外にも思ったほどのストレスではなかった。
 彼は覆面で顔と正体を隠し、ちょっと歩くとすぐにぜえはあ息切れを起こしてぽっちゃりした体で生まれたての小鹿のように足腰が笑い出してしまう以外は、まあまあ普通の青年と言えた。
 普通の青年が頭部にぐるぐる布を巻き、ろくに自分の身も守れないのに大森林をうろつくかどうかは別にして。
 ミオドラグは我々に報復するまで、王都にも実家にも戻れない。父や兄たちがそう宣告し、彼を放り出したからだ。
 しかし、どうやら本人に報復を遂行する意志はないらしい。
 まあ、解る。実家にこそ戻れはしないがその代わりどこまでも自由だし、報復のための旅の資金は実家から出ている。これは遊ぶ。可能な限り遊ぶ。
 少しでも報復する気持ちがあるのならメガネの料理をあんなに無防備に全力で摂取することもない気がするし、これまで王都からさえろくに出たこともなかった箱入り貴族の青年が大森林でめずらしい虫を探し出し観察する姿は初めて知る広い世界に目を輝かす子供のようなほほ笑ましさがあった。
 だから、なんと言うか。
 ミオドラグやその従者たちと普通に一緒にすごすことになって、普通に言葉を交わしたり、普通にごはんを共にしたりして、二日も三日も時間が経つとこちらにもすっかり気の緩みが出てきた。
 昔の人は言いました。
 それを油断って言うんだぜ、と。

 氾濫した溶岩池をあとにして三日。
 日付で言えば、一ノ月九日のことである。
 我々はその時、絶えず霧に包まれて木々は苔むし梢の先からしとしとと雨のようにしずくが垂れる多湿の森を抜けた先。
 大森林の中をごうごうと流れる、広大な大河のふちにいた。
 湖のように向こう岸が遠く、水はおどろくほどに透明だった。川底にごろごろ沈む岩や石までよく見えるほどだ。
 季節になるとおっさんのつま先から太ももほどもある恐い顔の魚が、生まれ故郷を目指す感じでこの大きな川を遡上した。
 皮は硬く、それでぬめぬめとした紫。しかしその身はどこまでも白く、腹に持った赤い卵に火を通しダシに溶かせばカニミソのスープのような味になる。お鍋にすると最高だった。
 約一年前に初めて出会ったこの顔の恐い魚を我々は食材として愛してやまないが、遡上の季節は夏の終わりだ。
 今は秋の始まりで、微妙にシーズンを外してしまった。
 悲しいね、と未練たらしくメガネと共に魚の影さえ見られないさぶさぶ流れる広い川の水面を眺めた。
 まるでカエルを踏み潰したような、それかゲコゲコふくらむ喉の袋を引き裂いたみたいな、ひび割れた悲鳴が「ぎやあ!」と上がったのはそんな時のことだ。
 そして、続いて聞こえてきたのはミオドラグの丸い体が川に落ちた音だった。
 彼の周りには痩せぎすの従者と、護衛の冒険者数人がいた。しかし、誰もミオドラグの落水を防げない。
 ちょうど――と、表現すべきかどうか微妙だが、彼らの近くには金ちゃんやじゅげむの姿もあった。
 金ちゃんは川原の大小様々な石と言う石を片っ端から引っくり返し、虫的なものを探そうとしていた。多分だが、食べるつもりなのだろう。
 それをじゅげむがはらはらと、金ちゃんが虫を口に入れようとしたら即座に止めんとする体勢で注意深く見ていた。
 そこへ、虫と聞いてミオドラグが加わり石をひっくり返す作業を始め、そんな主人を手伝うためにひょろ長い従者も枯れ木のような細腕を石に引っ掛け動かそうとする。
 ただこの従者、主人といい勝負で体力がなかった。ちょっと大きい石だとぴくりとも動かず、仕方なく護衛の冒険者が助けてやらなければならなかったほどだ。
 だからミオドラグが落ちた時、彼らのほとんどは川原の石に注意を向けていた。助けが遅れたのはそのためもある。
 そしてもう一つ。
 ミオドラグを守るべき冒険者たちの、とっさの判断を遅らせ迷わせた理由があった。
 魔獣の出現である。
 石に向かって屈み込み虫を探す集団の前に、川原に面する森の中から大型の黒い魔獣がぬるりとその姿を見せたのだ。
 それは全身艶やかな黒一色の、ネコ科の大型動物だった。
 色を除けばヒョウかトラに似ていたが、ただし大きさはその倍近い。つんととがった耳のそばには魔石のように光るツノ。根元で二本に分かれた尻尾はほっそりと長く、先端にぎざぎざ連なる鋭い爪のようなものがある。
 音も立てず優雅なほどしなやかな動きで忍びよる魔獣は、むしろ位置的に金ちゃんの近くに現れていた。
 しかし、実際恐怖したのはそのそばで石をひっくり返そうとしていたミオドラグだった。
 ぎやあ、と悲鳴を上げながらぽっちゃりと丸い体が飛び上がり、その拍子に引っくり返す途中の石が手から離れる。するとその大きめの石は支えを失い転がって、ミオドラグの足を敷き込んだ。
 足の痛みに息を詰め後ろに倒れたミオドラグの体が勢い余って一回転し、ざぼん、と川に落ちて流された。
 我々が耳にした悲鳴と水音がこれである。
 ミオドラグの護衛は突如現れた大型魔獣への警戒と同時に、川に落ちた護衛対象の追跡と救出。そして主人のあとを追い川に飛び込もうとする従者の静止と、あっと言う間にドミノ式で増えたどれも外せないタスクによって機能停止状態となった。パニックである。
 たもっちゃんや私は彼らの川下にいて、なんか知らんが流れてきたミオドラグをやべえじゃねえかとわあわあ回収しただけだ。
 なにも解らないせいで逆に落ち着いていたのだが、あとになって詳しく聞くとなんかもう本当になにもかもがダメだった。
 石をひっくり返してるだけで、川に落ちるとかなんなの。いや、魔獣はいたけども。
 川辺で彼らだけを放置してはいけなかったのだ。気のゆるみがあった。
 我々がいれば事故が防げると自信を持って慢心できるほど自分に頼りがいがあるとは思ってないのだが、それでもどこかで大丈夫やろみたいな気持ちがあったのはいなめない。
 と言うか普通に考えて、なすすべもなく流されるしかない水量の川は恐い。だって、落ちたらもうあとは流されるしかないのだ。なぜならなすすべもない水量なので。
 しかもこの川、ちょっと先では地面に走る巨大な亀裂に吸い込まれてしまう。その先は断崖の滝なのだ。落差はかなりのものなのに、滝つぼから水煙が舞い上がりここまで吹き上げてくるほどの勢いがあった。
 あれ、落ちてたらどうなってたんだろうな……。
 恐すぎて誰も口にはしないが、多分流された本人を含めて全員の頭に一度はそんな想像がよぎった。恐かった。
 短時間かつ連鎖的な事故の発生に、川辺の木陰で日傘を差して全てを見ていたレイニーさえもドン引きである。
 今回は魔法のある世界でなんとかなったが、なにも助かったような気がしない。
「何で俺、まさか川には落ちんやろって思い込んでたんだろう……」
「なに一つ大丈夫な根拠がなかった……」
 びしゃびしゃながらに助け出したミオドラグ。駆け付けた従者や護衛の冒険者。
 暗澹とうな垂れる彼らの前で、たもっちゃんと私もあんまり焦点の定まらない瞳をぼんやりと地面へ落としてぼそぼそと呟く。
 なお、全身凶器みたいな黒い魔獣の出現にじゅげむも若干飛び上がっておびえたが、それは水の近くで子供とトロールだけでは不安だとそばに付いてくれていたテオとエルフの手によって抜かりなく保護されていた。
 あの瞬間、テオとエルフたちだけが誰よりも頼れる大人だったのだ。

 植物で編んだ三角の笠を頭にかぶり、あまりに軽く男たちが言う。
「いやぁ、何か。申し訳ないっす」
 薬売りである。
 溶岩池が担当の男とはまた別で、この大河の辺りを受け持っている二人組だった。
 彼らは襟の後ろをぶらんと持たれ、エルフに連行されている。なぜなら、あのネコ型の魔獣がどう見ても彼らの同行者だからだ。
 メガネや私はちょうど一年ほど前に、二人組の薬売りとまさにこの川原で出会った。そしてそのきっかけは、二人を追い詰めていた黒い巨大なネコ的な魔獣だ。
 その時の我々との出会いで火を通したたんぱく質の味を覚えたネコは、フライパンと言う文明の利器を装備したニンゲン――この場合は薬売りらに気まぐれにくっ付き肉を焼かせているらしい。
 ただ、それでも飼いネコと言う訳ではない。
 利害の一致で薬売りを襲わないだけで、特に言うことを聞いたりはしないとのことだ。
 と、してもだ。ネコに続いてふらっと森から現れて「なんかあったんすか?」とか言いながらネコをなでる親密な様子は、ちょっと話聞かせろと連行されてもムリはないと思う。

つづく