神の詫び石 ~日常系の異世界は変態メガネを道連れに思えば遠くで草むしり~ 145

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春のお仕事編

145 クレブリ春の

 春がきた。
 と、たもっちゃんが置いてきた板状の通信魔道具を使い、クレブリの孤児院から連絡があった。
 五ノ月に入って、六日ほどすぎた頃のことである。
 ただしこよみの上でなら、五ノ月になると同時に春だ。だから実際やってきたのは、春になると海辺の街に現れて住人や漁師を困らせる例の魔獣が現れたとの知らせだ。
 我々は罰則ノルマの一環で、その魔獣をどうにかしなくてはならないのである。
 仕事ならば仕方ない。そう言ったのは、全然よくはなさそうな顔の事務長だ。
「そうだな……では、孤児院の土地建物はこちらで手配する。委任状に署名して行け」
「えぇー……」
 薄々そんな気はしていたが、これもうあれだな。実質、事務長が考え事務長が作る最強の孤児院になるやつだな多分。
 それはそれで丸投げできてまあいいか、と低い位置で気持ちを切り替え我々は村をあとにした。
 その前にもふもふとした子供らからは水あめをねだられ、リディアばあちゃんにはクマの老婦人が作ったと言うメルヘン要素が加味された各種のジャムを持たされた。うれしい。
 しかし砂糖も貴重だし、代わりにお金か砂糖を置いて行こうかとしたら別に困ってないと言う。
「お役人なんかがねェ、泊まって行く時に食料なんかをたんと持ち込んでくるんだよ。それを置いて行くもんだから」
 砂糖や塩なんかの腐らないものは、結構たまってくるとのことだ。あいつらどんだけ泊まりにきてんだ。

 春である。
 一言で簡単にまとめると、クレブリ春の爬虫類祭りだ。集めても白いお皿はもらえないと思う。
「何だこりゃ」
 我々はうめいた。
 数日ぶりのクレブリで、我々を出迎えたのはイグアナだった。いや、イグアナって言うか。イグアナなんだけど。やっぱ異世界のイグアナって言うか。
 その顔はふてぶてしいトカゲのようで、額には八角形のうろこ。後頭部にはモヒカンみたいなヒレがある。全身はざらついた硬いゴムのような質感で、胴体はなんだがでっぷりとしていた。丸々太い根元から先に行くほど細くなる尻尾は、大体全長の半分ほどだ。
 海辺の岩のようにごつごつと、同時にどことなくぬめぬめとしているその生物はサイズとしては大型のワニみたいな雰囲気だった。
 しかし、イグアナなのである。多分だが。
 大きさ的には非常識なたたずまいがあるが、冷たい海に平気で入り、海から上がると鼻の穴から勢いよく塩水をぶしゃぶしゃと吹き出す。ネイチャードキュメンタリーとかで見た、海イグアナにとても似ている。
 クレブリはガラパゴスだったのだ。
「遅いではありませんか」
 顔を合わせるなりそう言ったのは、ひんやりと不機嫌なユーディットだった。
 ふてぶてしい異世界イグアナをどっこらしょと横によけたりまたいだりして、苦労して孤児院に入った瞬間である。
「えぇー……まだお昼じゃん……」
「連絡きてから割とすぐじゃん……」
 たもっちゃんと私は別に遅くはないじゃないと正論を言ったが、今の彼女にそんな理屈は通じないようだ。
 異世界イグアナは人の少ない海岸の一部や、海に面した険しい岩場にごろごろとしていた。そして特に多かったのは、うちの孤児院の庭だった。
 街の外れで、海や岩場に接する立地のせいだろう。元倉庫である赤茶のレンガの建物は、どっしりとふてぶてしい生物に足の踏み場もないほどにびっしり取り囲まれていた。
 そのために、ユーディットはおかんむりなのである。
 あのふてぶてしい魔獣が庭にごろごろしているせいで、大人も子供もロクに外へ出られない。不便だし不愉快だから即刻どうにかしなさいと、ご立腹の貴婦人はすごく上のほうから我々に命じた。
 それなのに、どことなく懇願めいた空気があるのは彼女の顔がひどく青ざめているからだ。
「あの魔獣どもは春になると冬眠から目覚めて、漁師達を困らせる様です。草食で、人を襲わないのは幸いと言うべきでしょう」
 それでもあの数と巨体では、小さな子供には危険かも知れない。孤児院を預かる院長として、ユーディットは表情を曇らせて憂う。
 その言葉をおぎなうように、職員である教師役の男が小さく手を上げ口を開いた。
「それと、これは街の人に聞いたんすけど。そもそもこの倉庫が使われずに放置されてたのも、あったかくなったら魔獣がこの辺で日光浴するもんで荷揚げどこじゃなかったらしいっす」
「マジか」
 それはなんか、ワケあり物件すぎるんじゃないかな。高い買い物で失敗するの嫌いだぞぼくは。
 なんで最初に教えてくんなかったんだよと一瞬思ってしまったが、よく考えたらユーディットや職員たちは廃倉庫を買ったあとで集まった。アドバイスできるはずがない。
「つまり全部たもっちゃんが悪いな」
「えー、そこは何の説明もせず売った不動産屋が悪いって事にしとかない?」
 確かに。気持ちとしては、その言いぶんも解る。
「でもさあ、事故物件も間に一人住人がいたら説明義務もない訳だしさあ」
 ガン見とかの検索で自衛しとくってことも必要だったのではないのかメガネ。
 私としては正直な気持ちをこぼしただけだが、たもっちゃんの心は想像以上に繊細だった。と言うよりそもそも想像していなかったので、想定外と言うべきかも知れない。
 ガラスのハートを隠し持った男は、無神経な私の言葉にまあまあキレた。逆切れである。
「もー! 今更言ってもしょうがないでしょ! 買っちゃったんだから! 何とかすればいいんでしょ! 何とか!」
 そんなことをわめきながらに孤児院の玄関から飛び出して、勢い余ってイグアナの尾をぐにゃっと踏んだ。あっ、とまぬけな声を上げ、バランスを崩したうちのメガネはなすすべもなく密集する爬虫類の合間に消える。
 いや、消えたと言うか、頭からどーんとイグアナの集団にダイブした。
 異世界のイグアナは草食でおっとりした魔獣だそうだが、人間のおっさんが落ちてきてさすがにおどろかされたのだろう。たもっちゃんはパニックになったイグアナに、ぬめぬめごつごつと全身もみくちゃにされていた。
 なんなんだあいつは。
 たもっちゃんは泣きながら、でっぷりとした異世界イグアナを押しのけた。ついでに魔獣除けの術式を敷いて、孤児院の庭に安全な通路をいくつか作った。
 お陰で孤児院の建物から街への道路、庭にある海の水を組み上げて真水にする装置の辺りにはもうイグアナは近付かなくなった。それ以外の空き地には、相変わらずごろんごろんとしているが。
 そうしてできた魔法術式の通路を通り、いそいそと遊びにきてくれたのは近所のご老人たちである。
 ジジイとジジイとジジイばかりだが、その中の一人は以前一緒に漁具ダンジョンまで旅をしたザシャのおじいちゃんだった。最近はご近所さんを引き連れて、お茶飲みがてらちょくちょく遊びにくるらしい。
 教室もかねた孤児院の広間で、おじいちゃんたちにお茶を出してあげるのは赤橙のくせっ毛を一つにまとめた少女のルーだ。なんだか板に付いている。悪ガキたちに振り回される仕事にも、少し慣れてきたのかも知れない。
 我々が、と言うか私が。
「あ。私らが駆除する魔獣って、あのイグアナのことなの?」
 そのことを知ったのは、ルーの入れてくれたあったかいお茶を一緒にすすっている時だ。
 うん、そう。とうなずくメガネが老人たちに、あのイグアナなんとかしないといけないんですよねと話していたのでそれが解った。
 クレブリに住むおじいちゃんたちの話によると、海イグアナが我が物顔で街を蹂躙し始めたのはここ数年のことらしい。
「あの沖のほうにな、ちんまい島があるじゃろ。元々の巣はあっこでな。それが、いつからかこっちの浜までくるようになってしもうたんじゃわい」
「そうじゃそうじゃ。餌の海草もたんまりあっての。漁師もあんな所までは行かんから、島のほうが住みやすかろうにな」
 おじいちゃんたちは話しながらに、集まってきた子供らにせがまれ釣り針に糸を巻いて見せていた。どうやらいつもこうやって、漁具の扱いを教えてやってくれているらしい。
 小さい子たちはきゃいきゃい騒がしくジャマをするだけだが、大きな子たちはそれをうまくあやしながらに熱心におじいちゃんたちの手元を見ていた。
「これで一安心じゃな」
「そうじゃな。今年は魔獣の被害も少のうて済みそうじゃ」
「この調子で首尾よう駆除してやってくれや」
 老人たちはシワの多い痩せた手で、ばしばしとメガネの肩や背中を叩いた。口調は軽いが、目はマジだ。
 漁業OBの圧迫感が強め。

つづく