神の詫び石 ~日常系の異世界は変態メガネを道連れに思えば遠くで草むしり~ 138

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一家離散編

138 にゃーん

 二人組の薬売りとは、夏以来の再会となった。
 ほら、例の。
 我々に備わる自動音声翻訳でちっすちっすと特徴的な口調の感じで薬売りを中心とした隠密の正体が解ってしまう問題を、そんな大した話と思わずおもっくそ本人たちに告げてしまったらリアクションが思いのほかアレでどうもこれダメだなと解って力業で逃げることになった、あの。
 大森林の広大な、川の近くで出会い別れた例の薬売りたちである。
「それで、こんな所で何してんすか?」
 ――と。
 なんとなく調子がいいほうの薬売りが問うたのは、我々が振る舞うトン汁をはふはふとすすりながらのことだった。
「いやー、エルフの里に行こうと思ってたんだけどさ。何かさー、ほんと。色々あって」
 それにもじもじと答えたのはメガネだ。薬売りの来訪に小屋の中から呼び出すと、トン汁のうつわをトレイに載せてなんだよ久しぶりじゃんとか言って出てきた。
 今は空になったトレイを抱きしめ、恥ずかしそうにぐねぐねとしている。エルフが目の前にいなくても、エルフの話題と言うだけで挙動がキモくなるらしい。
 やはり、エルフは二次元でとどめておくべきだったのかも知れない。そんなことをしみじみと考え、そして同時に思い出す。
 そうだった。そもそも今回大森林にきたのは、そんな理由があったのだ。
 どうせなら最速で行こうぜと。
 とりあえず、ドラゴンさんに預けたドアで大森林までやってきてそこからエルフの里へと飛ぼうと言う計画だった。
 ドアからドアへボッシュート事件で、すっかり遠い記憶のようだ。
 ああ、そう言えば。みたいな感じで、もう一人の薬売りがやはりトン汁をすすりながらにうなずいた。
「ブルーメ国内にあったエルフ売買の裏ルート、全部潰して奴隷にされてたエルフ片っ端から助け出したらしいっすね」
「あ。あの国ってブルーメって言うの?」
 王様にも会ったし公爵さんにもすごいお世話になってると言うのに、そう言えば国の名前は初めて知った。
 へーそうなんだとうなずいてたら、なんで知らないんすかと久しぶりの感じで言われた。
 まあ、それはそれとして。
 我々のふわっとした感じは今さらなので、できるだけ横に置くとして。
 やはり彼らは隠密なのだ。
 海辺の街に長めに滞在してたこととか。ノリで孤児院を作ったこととか。その辺の動向も、すでに知っているようだった。
 なんかそれって色々把握されすぎている気がするが、相手が口調だけ体育会系の隠密だと思えば仕方のないことなのだ。多分。
 そして今はそれより大事な、もっと重要なことがある。
 私は、つるりと硬い恐怖の実を二つ割りにしたものにトン汁をそそいだ。
 そしてそれを地面の上に溶け残る、固い雪に半分うずめて胸いっぱいの愛を叫んだ。
「にゃーん!」
「リコ、落ち着いて」
 たもっちゃんは心配そうに、私をそっと取り押さえるなどした。
 異世界では秋頃にぬるっと年が明けているので、大森林で薬売りと知己を得たのはすでに去年の思い出だ。
 一人目の、溶岩池の地区で出会った薬売りの男もその印象はまあまあ深い。温泉にかまけて仕事サボってなんかすごい怒られたと聞くが、あいつ元気でやってんのかなあ。
 そんなことを思いもするが、でも今はそれじゃない。
 あの夏。恐い顔の魚が力強く遡上する広い川のほとりで、我々が出会ったのは二人の薬売りばかりではなかった。重要なのはそこである。
 つんととがった愛らしい耳。そのそばには左右それぞれ、魔石のように光るツノ。ほっそりと優雅な尻尾を二本持ち、その尾の先にはぎざぎざと鋭い爪が連なっている。
 その体型はネコ科の肉食動物にとても似て、しかし地球のヒョウやトラより倍ほどは大きい。全身凶器っぽい造形も、異世界ならではのものだろう。
 だがそんなのは、些細なことだ。
 それはまぎれなく美しく、しなやかな体を持った黒一色のネコだった。
 そして今、私の記憶にいるそれと全く同じ姿のものが、春の気配を思わせる雪解けの森にひっそりとあった。
 なんかすごいイカ耳で、べたっと体を低くしてずっとシャーシャー威嚇しているが。
 そう。その黒ネコは、夏の出会いと同様に薬売りの二人と共に私の前に現れた。違うのは狩人の表情で彼らを追い詰めていた最初と違い、なんか仲がよさそうなことだ。
 熱いトン汁をはふはふしている薬売りによると、この大型のネコの魔獣はあれからこれまで大体一緒にいたそうだ。熱を加えたたんぱく質に魅了され、獲物を狩ってはさあ焼けと持ってくるらしい。
 それを聞き、私の心は嫉妬で荒れた。
「やだー! 私だってネコと一緒に暮らしたかったー! やだー!」
 足元が雪でべちゃべちゃしてなかったら、そのまま倒れ伏していたかも知れない。
 ずるいずるいうらやましいとぷりぷり怨嗟を振りまいていると、たもっちゃんは困った子を見るように言った。
「えー、じゃあ連れて帰っちゃう? リコ、ちゃんと世話できる?」
「お世話するのはやぶさかではないが私がネコ様を幸せにできるか、充分な環境を与えられるか、ちょっとあんまり自信がないの」
 それとこれは話が別なの。
 大自然を駆け回る自由と引き換えにお迎えしても、それに見合う幸せを私が。この私が。提供できるかどうかは定かではない。
 その辺のジレンマをここ一番のキリッとした顔で力説すると、たもっちゃんは「えぇ……」と小声で戸惑いがちに呟いた。
「リコさぁ……事あるごとに俺を変態変態言うけどさぁ……。大概だと思うんだよね、リコだって」
 否定はできない。しかし譲れぬ。
 数ヶ月ぶりに見る黒ネコは、なかなか近付いてこなかった。小屋から少し距離を取り、かと言って森に隠れるでもなく。雪の残った木のない場所に油断なく体を伏せていた。
 白っぽい景色に黒ネコなのでそこそこ目立つが、多分ほかに居場所がないのだ。
 ゆらりゆらりと二本の尻尾が左右に揺れるお尻の下では、後ろ足の鋭利な爪がばりばりと雪や土を乱暴に引っかく。それらは恐らく、警戒のサインだ。
 丸い目を鋭くとがらせたネコは、油断なくにらみ付けている。その先にいるのは森をばきばきに破壊した、または小さな小屋のフタを取るみたいに屋根を壊して覗き込む、そんな姿で茨に巻かれた巨大な魔獣だ。
 赤く焼け、溶けた鉄のような毛色のイヌがそこにいる。それはゾウの何倍も体が大きく、こんなのと森で出会ったら全身凶器の黒ネコもきっとただでは済まないのだろう。
 だから、全力で警戒している。
 それは解る。
 ただそんな全身の毛を逆立てる姿もほほ笑ましく見えてしまうのは、その赤イヌが二匹ともぐるっぐるに茨に巻かれてもはや指一本も動かせない状態にあるからだ。
「でもそんなの解んないよねー。おっかないもんねー。大丈夫だからこっちおいでー。よーしゃしゃしゃ!」
 文字通りの猫なで声でそんなことを言ってると、お前は一体どうしたんだとテオとレイニーが引いていた。気持ちは解るので、それは別にいい。
 問題は内輪の話し合いを終えたらしいエルフが、ぞろぞろと小屋から出てきて私の奇行をうっかり目撃したことだ。あれはちょっと恥ずかしかった。
 家族だけだと思って油断してたら近所の人が居間にいて、毛玉いっぱいのスウェット姿を見られたみたいな実家の感じを思い出す。
 エルフたちは一瞬、空気をピリッと緊張させた。私の猫なで声が理由ではない。シャーシャーと威嚇しているネコの魔獣が、すぐそこにいたからだ。
 ネコを愛でたい私としてはまだ少し遠すぎる位置だが、黒ネコがその気になればあっと言う間に接近しこの喉笛を食い千切れる距離だろう。愛おしい。
「どうしたんですか? 話し合いはもういいんですか? 料理どうでした? よかったらもっと作りますけど」
 たもっちゃんがそわそわとエルフの集団に近付くと、武装したエルフの男がさりげなく同胞の少女たちを背中に隠した。
 黒ネコは威嚇するだけで、人を襲う様子はなかった。そもそもあんなに恐れているのは、人ではく赤イヌだ。それに気付いて、エルフは武器に手を残しながらも警戒を解いた。
 それよりも、とりあえずはメガネのほうがヤバイと気付いているらしい。さすがうちの変態だ。さっき出会ったばっかりなのに、少女たちから明らかに遠ざけられている。
 しかし、それでもエルフの危機管理は甘い。たもっちゃんのレベルは高いので、エルフだったらなんでもいいのだ。
 現に美少女たちから離されてなお、特に残念がることもない。そして壁のように立ちはだかった、お父さん世代のエルフの前でぐねぐね恥ずかしそうに身もだえている。罪深い。

つづく