神の詫び石 ~日常系の異世界は変態メガネを道連れに思えば遠くで草むしり~ 136

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一家離散編

136 とろけた鉄

 いや、めっちゃ怒られたよねと。
 たもっちゃんはへらへらと言った。
「調味料育てるのに忙しくて戻るの遅くなったのは、確かに俺が悪かったけどさぁ」
「けど、ではない。悪いに決まっているだろう。タモツは戻ろうと思えば戻れたのだから、すぐに無事を知らせるべきだった」
 テオは今にも言い訳を始めそうなメガネを封じ、多分ここにくるまでも何回もくり返しているだろう正論を口にした。
 そして、私に向かって「それで?」と問う。
「そちらは? ……この状況を見る限り、平穏に過ごせていたとは思えないのだが」
 たもっちゃんと私の体質で、渡ノ月には滞在場所を厳選しないと怪獣大戦争が起こる。
 このちょっと人聞きの悪い話は、テオにはすでに伝えてあった。
 そのために、呪われてんのかみたいなことを言われたのもまた、すでに去年のことになってしまった去りし夏の思い出の一つだ。
 テオはベーア族が暮らすクマの村で黒い巨大なタコみたいなやつが出た時も、王都にあるアーダルベルト公爵家のお屋敷が魔族率いる愉快な魔獣たちによりぼっこぼこにされた現場にもいなかった。
 もしかすると公爵家のほうは、その爪痕くらいは目にする機会もあっただろうか。
 だが我々がこの体質について告白したのは、それよりずいぶんあとだった気がする。
 今回もその瞬間その場所にいなかったのは同じだが、我々の呪いめいた体質とそれにより引き起こされた惨状を関連付けて目の当たりにするのはこれが初めてと言うことになる。
 そのことに、彼は。
 完全に疲れ切っていた。
 あきれが度を越しているのかも知れない。
 我々は大森林の中に立つ、簡素な小屋に身をよせていた。しかしその頭の上に、屋根はない。なくなったのは、おとといの夜中だ。
 そしてその、ぱかりとフタを取ったみたいな小屋の上から、室内を覗き込んでいるのは巨大な赤いイヌだった。
 私の知ってるゾウより体は何倍も大きく、屋根の取れた平屋の小屋より体高がある。
 鋭い牙と爪を持ち、全身の毛足は長く赤く熱してとろけた鉄がこぼれ落ちているようにも見える。尻尾には魔力がまとわり付いて、青い炎のように燃え上がる。
 人間なんか一口でばっくり飲み込めそうな大きさのそれは、しかし今は動かなかった。
 出会った瞬間、うわー、と思っている内に、全自動で茨が出てきてなんとかなった。サンキュー異世界の気持ちが強い。
 動物と呼ぶには巨大すぎるが、この赤いイヌもまた魔獣の一種とのことだ。ただし普通の魔獣と違い、渡ノ月に我々の気配を感じると眠りから目覚めて大暴れするタイプの。
 まあ、それはいい。
 大丈夫では全然ないが、その話は何度となく聞いていた。
 聞いてないのは、渡ノ月に出てくるこれらが、べつに一匹とは限らないと言うことだ。
 半解凍の状態で運び込まれた小屋の中、私が怯えたエルフたちの前で目を覚ましたのは渡ノ月の前日だった。
 まあまあまだ前日だしと、翌日の夕方頃までのん気にメガネの迎えを待ったりしたが、一向にこない。そこで私は思ったのである。これはまずいと。ようやくに。
 大森林では大体どこでも怪獣出てきて大戦争。と、渡ノ月に関して言ってたメガネの言葉を私はちゃんと覚えていたのだ。そこはえらいと、まずほめて欲しい。
 私一人なら、多分死ぬことはないような気がする。茨のスキルは、私のテキトーさには影響されず全自動で機能している。
 しかし、エルフの少女たちはどうだろう。
 夜になれば勃発必死の怪獣大戦争に巻き込んで、ケガでもさせてしまうかも知れない。
 まだ若いエルフたちは善良で、大森林だし、夜だし、しかも月のない渡ノ月に出歩くのは危険だと、心底心配して最後まで止めようとしてくれた。優しい。
 しかしだからこそ余計に、絶対に、彼女たちを巻き込む訳には行かない。私は強い意思を持ち、その優しい手を振りほどいて小屋を出た。
 たもっちゃんはどうしているのか解らない。しかし、もう日が落ちるのだ。
 今から迎えにくるとはとても思えなかったし、二人そろえばもっと状況が悪くなることもあり得る。我々はそろいもそろって、厄介な体質を持っている。
 だから私は自分の足で、できるだけ少女たちのいる小さな小屋から距離を取って離れなくてはならない。
 いまだ肌を刺すように冷たい風にさらされながら、私は雪の積もった森に向かって一歩一歩足を進めた。
 ここで一つ、思い出してもらいたいことがある。私は、私であるのだと。
 恐らく、下り坂になっているかなにかで、そこだけ雪が深くなっていたのだと思う。
 強い決意をキリッとかかえ、私は一人森へと入った。そして小屋から五百メートルあるかないかと言う場所まできた時に、すそんっと落下するように雪の中に胸まで埋まった。
「……ええー……」
 私はうめいた。
 こんなことあんのかよ、と。
 あんなにカッコ付けて飛び出してきたのに、五百メートルて。
 私は、しょせん私なのだなあ。
 どんどん暗くなる大森林の真ん中で、雪にずっぽり埋まったままに遠くを見詰めて空を仰いだ。
 この時一つ、私は学んだ。
 人間、胸まで埋まるとどうしようもないと。
 まじこれやべえどうしようと思いながらに凍える内に夜になり、予想通りにどこからともなくでっかい魔獣が現れた。
 それを見て、最初の感想は「わあすごい」だ。
 熱い鉄のような巨大なイヌは、インパクトがあった。それはやる気いっぱいに、がるがると響き渡る咆哮を上げて私に襲い掛かろうとした。そして、すみやかに茨に巻かれて動きを止めた。
 その赤いイヌは渡ノ月が明けた今でも、葉のない木々がめきめき折れた森の中にそのままの姿で転がっている。
 その夜が終わって明るくなると、なにやってんだとエルフの少女たちに発見されて、苦労しながら掘り起こしてもらえた。ありがたい。
 それで、でっかい魔獣は覚悟してたがいやまさか埋まるとはとかのん気に言って、私は再びエルフたちのいる小屋に戻った。
 もういいだろうと思っていたのだ。
 たもっちゃんのお迎えのないまま、渡ノ月の二回目の夜。それは起こった。
「思い込んじゃってたんだよね。渡ノ月がやばいっつっても、最初の夜だけ注意してればいいんだろうなーって。まさかさ、連日でっかいイヌが出てくるとは思わなかったよね」
 いや、めっちゃびっくりしたよねと。
 私がへらへらしながら言うと、テオは疲れ切った顔のまま「お前とタモツは同類なのだなぁ」と力なく呟いていた。
 合流した我々の、頭の上にはイヌがいる。いると言うか、小屋の中から見えているのは巨大なイヌの鼻先だ。
 小屋の屋根をはがして壊し、中を覗き込む格好で茨に巻かれているイヌは二日目の夜に現れたものだ。
 まさかの二晩連続で、私は怪獣みたいな大きな魔獣に襲われることになった。完全に油断し切っていたので、今度はエルフたちも巻き込んで阿鼻叫喚の一夜となった。
 茨のスキルが素早く自動的に発動し、幸い大事にはいたっていない。だがこれが二日連続と言うことに、私はとてもおどろかされた。
 クマの村での騒動の時も、公爵家でのあの夜も。これまでは全て、渡ノ月の最初の夜にしか巨大な魔獣が暴れることはなかったからだ。
 しかしそれは単に今まで、地中で休眠している魔獣がその周辺には一体だけか、襲撃を受けた現場から急いで離脱したことでそうなったにすぎない。のではないかな多分だけどと、たもっちゃんは語った。
 対してここは大森林で、大体どこでも魔獣がぼこぼこ埋まっているらしい。つまり、どこへ行っても逃げ場などないのだ。
 だから私は最初の夜だけでなく、二回目の夜がちゃんと無事に明けるまで油断すべきではなかったのだろう。
 もうなんか、全部遅いが。
「そーゆーの先に言ってくんなきゃやだー」
「えー、言ってなかったっけ。リコ聞いてなかっただけじゃない?」
 そう言われるとな。心当たりしかないな。
 まあそれはそれとして、たもっちゃんが常識人や天使やトロールと合流し、私を迎えにきてくれたのは渡ノ月が明けた今日。五ノ月初日のことである。
 渡ノ月は三日だが、三日目の朝がくればもうさすがに危険なことはない。これはちゃんと確認したので、今度こそ確かだ。
 だとしたら、どうして昨日迎えにこなかったのかと。
 茨のスキルが発動したので人的被害は出てないが、小屋の屋根がなくなってから一昼夜、私と三人のエルフの少女はなかなかの寒さに耐えなくてはならなかったのだ。
 もっと早くきてくれてもいいのよと、私がその辺の話題に触れると、「あ、うん」とぼそりと答えて、たもっちゃんの表情が死んだ。
 ユーディットからの小言が止まらず、出発が遅れた話はあとでテオからこっそり聞いた。

つづく