神の詫び石 ~日常系の異世界は変態メガネを道連れに思えば遠くで草むしり~ 18

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クマの村編

18 泥沼

(災害について想起させる描写が含まれます。ご注意下さい)


 なんか、シャワーを浴びる夢を見た。
「リコ!」
「……雨かあ」
 冷たいとは思ったんだよ。
 いつの間にか、夜は終わっているようだった。辺りは薄く夜が明けて、空の端が白んできている。雨は少し弱くなり、しとしと地面を優しく洗う。
 いや、地面か? これは。
 私の視界の中にあるのは雨を落とす曇った空と、バキバキに木の折れた山。そして地表をおおう黒いもの。
「リコ! すっげー探したぞ!」
 たもっちゃんは怒ったみたいにそう言いながら、つるんつるん滑っていた。足元が悪すぎる。私たちがいるのは、あの黒くぶよぶよとした怪物の上だ。
 しかし私に関しては、上ではなくて首までずっぽり黒いぶよぶよに埋まっている。動けないし、なんかすごい生ぐさいので早く救出して欲しい。
 苦労しながら私の所までたどり着き、たもっちゃんは両手を突いて這いつくばった。そしてずいっと顔を近付けて、人相悪く両目を細める。
「無事なら無事って返事くらいしろよ!」
「えー、ごめん。さっきまで寝てたわ」
「……多分だけど、それは気絶だ」
 訂正するたもっちゃんは、ものすごく複雑そうだった。その顔を見て、気付いた。
「たもっちゃん、メガネは」
 黒ぶちメガネが顔にない。すげー近いと思ったら、これ、見えてないだけだ。
「落とした」
「なにやってんの」
 たもっちゃんの視力は悪い。メガネがないと、日常生活もままならない。生命線を落とすなよと、正直あきれた。
 あとから聞いた。
 怪物の本体を刺したあと、私は派手にすっ飛ばされた。たもっちゃんはそれを見て、助けようとしたらしい。あわてて駆け出し、目の前のぬかるんだ穴に落ちた。メガネをなくしたのは、その時だそうだ。
 つまり、私のためだったのだ。この話を聞いて、あきれたことを後悔した。でも、すぐに気が付いてしまった。
 ……その穴さあ。怪物の足元抉ろうとして、自分で開けた穴じゃないかな。
 たもっちゃんは、数人のベーア族と一緒だった。彼らはごつい爪の付いた大きな手で、私を掘り起こそうとした。
 しかし怪物の体は弾力のあるゲル状で、掘っても掘っても周囲のぶよぶよが勝手に穴を埋めてくる。弾力はあるくせに、ぐずぐずに崩れたゼリーみたいだ。
 これはダメだなってことになり、最終的にマンドレイクの根のように引っこ抜かれた。死を招く悲鳴は自重しておいたが、その時に靴が脱げてしまった。
 あっと言う間にぶよぶよに埋まってしまった靴を、ベーア族の人が取り出そうとしてくれた。でも、やめてもらった。もうなんだか、どうでもよかった。
 私は全身でろでろだったし、彼らはでろでろのドロドロだ。服も毛皮も泥水で汚れて、元の色も解らない。
 私は埋まりながら寝ていただけだが、彼らはずっと私を探してくれたのだと思う。びっくりするほど、ものすごく汚い。
 靴なんか、いいや。早く帰って、みんなでごはん食べて寝よう。
 怪物は、ちゃんと死んでいるようだった。でろりと広がる巨大な死骸につるんつるん滑りながらに、村へと戻る。
 朝日の中をぺたぺたはだして歩いていると、村の端、山側にある小さな家の三軒ほどが壊れているのが目に入る。足元はでろでろと、怪物の残骸が少し流れ込んでしまっていた。
 宿の近くまで戻ると、レイニーに会った。
 レイニーは、ほんと、レイニーだった。
 感動の再会をしろとは言わない。でも、いきなり洗浄魔法をぶつけてくるのはどうかと思うの。それも、もはや洗浄ではなく浄化なのではと疑うレベルの洗浄力だ。
 我々を徹底的に清めたあとで、レイニーは語った。再会をよろこぶには、汚すぎたと。
 宿の建物に入ると、厨房からジョナスが飛び出してきた。ベーア族の表情はよく解らない。でも帰ってきた私たちの姿に、彼はほっとしていたと思う。
 ジョナスが用意したあったかい料理を、みんなで食べる。
 一階の酒場には、ジョナスとティモを含めて八人ほどのクマたちがいた。村に残るのはこれだけで、あとの住人はいち早く逃がされて無事らしい。
 食事をしながら話を聞くと、全く無傷とは行かないが死んだ奴はいないそうだ。今度はこちらがほっとした。
 それからは、眠った。
 なんだかすごく疲れてしまって、眠くて眠くて仕方なかった。
 次に起きたのは、翌日の昼だ。翌日と言っても寝たのが早朝だったので、一日と半分を寝て過ごしたことになる。そしてまだ寝足りない。起きたのもしぶしぶだ。
 部屋の扉をガンガン叩かれ、怒鳴るような声でむりやり起こされたのである。
「出てこい! 隊長が話をお聞きになる!」
「騎士様! 待っとくんなよ! 女もいんだ。いきなり入っちゃなんねェよ」
 ぼーっとしながら体を起こすと、私の横にはレイニーが寝ていた。隣のベッドには、たもっちゃん。我々は、三人そろって惰眠をむさぼっていたようだ。
「たもっちゃん、たもっちゃん」
「んー?」
 肩をつかんで思いっ切り揺すると、意外とすぐに返事があった。
「なんかさ、騎士だって」
「きし?」
「隊長が話聞くって」
「たいちょうが?」
 返事はあるが、寝ぼけている。
 扉の向こうでは、まだ言い争う声がした。怒鳴る誰かと、それを止める誰かだ。
 これでは、放っておく訳にも行かないだろう。私は、仕方なく二度寝をあきらめた。
「獣族め! そこをどけ!」
 扉を開けると、ちょうどそんな声が聞こえた。
 目の前には、もっふりとした大きな背中。このちんまりした緑のチョッキは、きっとジョナスだ。彼は二人の男と向かい合い、自分の体で扉を隠すように立つ。
 ジョナスの前にいるのは、二人の人族だ。
 この世界にきてから初めて見る、詰襟のジャケットにそろいのズボン。その上から鉄の鎧を身に着けている。恐らく、彼らが騎士なのだろう。
 一人は若く、もう一人はずっと年上だ。ぎゃんぎゃんとうるさいのはそばかすのある若い男で、その後ろにいる赤銅色の髪と目の騎士は口を開くことさえしない。
 静かな男は、ひどく難しい顔をしていた。
 剣の柄に両手を載せて休ませながら、伏せた目は床の上に落ちている。木目を数えている訳でもないだろう。気掛かりなことでもある様子で、考え込んでいるらしい。
「隊長」
 騎士がもう一人、階下から二階へ駆け上がりながら男を呼んだ。彼は赤銅色の頭を上げ、それに答える。
「どうだ」
「やはり、どの村人に尋ねても同じです。三人の冒険者がフィンスターニスを討伐したと」
「そんなはずはない!」
 叫ぶのは、そばかすのある若い男だ。憤慨し、その場で靴を踏み鳴らして言いつのる。
「嘘に決まっています! 騎士が百人で討伐に当たるものを、冒険者ごときに倒せるはずはありません!」
「嘘じゃねェよ! あん人らァ、ちゃんと村ごと助けてくれたんだからよ」
 たまりかねたように、口をはさんだのはジョナスだ。
 私はこのおっさん天使かな、と疑っただけだが、若い騎士は気に入らなかったようだ。
「ジャンニ、控えよ」
「しかし、隊長!」
 ジャンニと呼ばれたそばかすの男が、剣をにぎってジョナスをにらむ。
 その姿が身勝手で、なのに正しいと信じるようで。なんだか心底、イラッときた。
「えー、気に入らないと切り付けちゃうの?」
 気が付くと、言っていた。彼らはそれで、やっと私の存在に気が付いた。でも遅い。もう私、止まんないから。
「そんな人と話すんの? それってマトモに話しになるの? やだー、バカじゃないの。自分が聞きたいことしか認めないのは、話を聞くって言わないよねえ」
 若い男は、ぽかりと口を開いて固まった。それから、真っ赤な怒りに顔面を染めた。
「貴様!」
 騎士隊長である男が、若い部下を止めるのと。起きてきたレイニーが、私の横から顔を出すのは。ほとんど同時のことだった。
「待て、ジャンニ」
「何事ですか?」
 男は、はっきりと息を飲んだ。
 レイニーを見た瞬間に、信じられないと言うように。赤銅色の目を見開いて、まるで奇跡にでも出会ったように。
「どうしたのー?」
 眠たそうに目をこすり、たもっちゃんがのそのそとベットから下りてくる。
 残念だったな、見逃したぞ。つい今しがた、人が泥沼の恋に落ちたところだ。

つづく