見出し画像

スキーとの向き合い方

50年以上スキーをしてきた。
生まれて間もなくから始め、私の人生に欠かせないもの。
ここまで長く続けてきたものは、私の人生史上唯一のもの。

しかし、今、スキーへの向き合い方が変わりつつある。

【子供時代】
スキーが大好きで毎日滑った。
中学の時にSAJ1級を取った。

【スキー教師として】
21歳のときに全日本スキー連盟準指導員検定に合格。
その3年後、全日本スキー連盟指導員検定に合格。

【技術の追求】
30歳のときにテクニカルプライズ合格。

【20代の選手時代】
全日本スキー技術選手権大会北海道予選に出場。
より上を目指すため、スキーの練習環境を整えるべく、ルスツ・ニセコを拠点とし、転職。
しかし、目標とするライバルの壁は高く、超えることができなかった。
大きくて高い壁だった。
大きな怪我もたくさんした。
膝の骨折、下腿の骨折、膝や股関節の痛みは、その後今まで引きづっている。
今思えば、選手として2流だったから怪我が多かったのだと思う。
「1流ではなかったかもしれないけど、お前は1.5流だぞ」とコーチに言われた褒め言葉は今も忘れない。

【30~40代のマスターズ選手時代】
若い時に乗り越えることができなかった壁を越えたくて、
30代からはマスターズ技術選手権に出場。
しかし、超えれらない。
そこそこ滑れるけど、一番にはなれない人間のままだった。

【50代の今】
技術を追究するスキーからは遠ざかっている。
理由はいくつかある。
まずはコロナ渦。
人とのかかわりが断絶された。
私は医療者なので、感染の蔓延を危惧した私は、これを機にマスターズから遠ざかっていた。
そして、病気治療の副作用による骨折リスク。
10年前から病気治療に使用していた薬の影響で、40代後半から骨粗しょう症となった今、転倒が一番怖い。
攻めるスキー競技から遠ざかった理由の一つである。
見た目は実年齢より若く見られるし、血管年齢は40代。
なのに、骨年齢は80代という、なんともアンバランスな体になってしまったのだ。

今もスキーは好きだ。
しかし、若いころのスキーは、技術追究と言いながら、自己欲求を満たす道具だったのかもしれない。結局自分を満たすことはできなかった気がするけど。

今は、ただスキーを履いて山を歩き、滑る。
そこには高度なテクニックや見た目のカッコよさなんて不要で、
心の底から自由なのだ。
順位なんて、今の私には必要ない。
スキーは、私の心の拠り所である自然に包まれるために必要な、大切なものに変わりつつある。

これからのスキーは、
今までとは違うスキーの「好き」に出会えるかもしれない。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?