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聖徳太子生誕の日と「遊行がごとく」の旅〜尾道、飛鳥、奈良、京都


甘樫の丘から二上山へ沈む夕陽

今日は聖徳太子生誕1401年の記念日とのこと。小野妹子とは切っても切れない聖徳太子。今は厩戸王と呼ばれるそうですが、小野氏を追っている私としては、ご縁があるような気がしています。旅であったことに、後々知識が加わると改めて、そうだったのか〜と教えられるようなことがありました。

さて、話は2016年、父が亡くなった翌年、お寺ばかり周った一人旅をしました。一週間も一人で旅行するなんて初めてのことでした。


きっかけは、尾道のお寺での灌頂に参加させていただいたことでした。この旅のことは、「遊行のごとく」という題で、amebloに書かせていただいています。ご興味ある方は、写真もたくさん載せているので、どうぞ♪

その時は気づかなかったことですし、気にもしていなかったのですが、灌頂という儀式があったお寺の名前が浄土寺で、聖徳太子の創建した由緒あるお寺でした。


その時は、へー、そうか、なんて感じでしたが、考えてみたら、尾道まで聖徳太子いらしてたのか!ですよね。

余談ですが、京都の八坂の塔。清水あたりの風景のシンボル的存在ですが、あの塔も聖徳太子の創建とのこと。六角堂も太子と妹子の関係。まだまだ平安京が将来そこにできるなんて考えてもない時代のことです。

さて、尾道は実は巨石がすごい場所で、それも初めて知ってびっくりでした。その時は浄土寺の奥宮のある山の上まで宿の人の勧めで登ったのですが、聖徳太子もここに来ていたのでしょうか。

尾道からは新大阪経由で飛鳥に向かいました。若い頃行って以来久しぶりですが、なんとなく飛鳥に行きたくなって。

ゲストハウスの方に勧めてもらって、甘樫の丘に夕陽を見に行きましたら、本当にものすごい夕焼けで、さらに太陽が二上山の双耳峰の真ん中に沈んでいったのです。

その頃はまだあまり古代史のことも知らなかったので、ただすごい景色だなと。甘樫の丘といえば、蘇我氏の館のあった所くらいは知っていたので、ここから蘇我氏の人たちもこの景色を眺めていたのかと思いました。

そして、西方に極楽浄土があるというのも、こういう光景を眺めていたら、そう思えるなあと思いました。

その翌日は、太子が生まれた橘寺に参っています。ブログに尾道の浄土寺も太子の創建だから繋がっているのかなと書いていました。

その後、當麻寺へ写経と曼荼羅を見に向かったのですが、まさか二上山の麓とはでした。あの西方浄土の聖なる山へ向かって行くとは思いもみなかったのです。結局、當麻寺本体にはいまだ辿りついていないのですが、貴重な出会いがありました。

そして、何年かいろいろ調べていくうちに、太子一族のお墓や妹子のお墓があの二上山の向こうにあることを知りました。飛鳥の人からは二上山の向こうが極楽浄土だったのですね

さらに、あれ?と思うことがあり、地図で見てみたら、飛鳥から西に向かった先に尾道があったんです。だから浄土寺という名前なのか!

瀬戸内海は遣隋使の航路でもありました。太子も妹子と船に乗ってその航路を行き来する中で、西方にある尾道に浄土寺を創建したのかもしれないなあなどと妄想してしまいました。尾道の巨石群は細い瀬戸内の海を挟んで、何かのシステムのようにも見えましたから、特別なものを感じられたのかもですね。

尾道から飛鳥に行ったのも、太子と妹子お二人の道を辿ったようで、今頃になって面白いことだなぁと感心したりしております。

旅の記録、書いておいてよかった(^^)
その翌年も飛鳥に行くことになります。こちらは曼荼羅のお話の方でまた!

「遊行のごとく」一覧のページはこちらです。よかったら♡

遊行のごとく①〜尾道・金色の像と千光寺ロープウェイ

遊行のごとく②尾道・浄土寺で結縁灌頂、奥の院展望台〜はなカフェ

飛鳥・甘樫丘の夕陽に感動♪〜③

古代が普通にある〜♪飛鳥ウキウキ散歩道・橘寺〜④

さすが安部晴明!と感じてしまった〜安部文殊院と文殊つながり〜⑤

登りきった先には…奈良の長谷寺〜⑥

當麻寺宗胤院・奈良すごい!という出会いの一日〜⑦

息づくビーナス〜秋篠寺伎芸天・薬師寺写経と奈良町「環奈」〜⑧

春と秋だけの京都瑠璃光院〜⑨

京都・東福寺とサロン・ド・ロワイヤルの川床〜遊行のごとく最終回

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