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さよならねこバス

このところ、ずっとトイレにジブリのねこバスのマットを引いていた。
私は、ねこバスが大好きだった。年甲斐もなく、ジブリの森に行ったら、幼稚園児に混じってねこバスに乗るのが夢だった。ねこバスは、ちょっと意地悪な顔をしていて、そしてでも病気でなかなか会えないやさしい本当のお母さんのところへ、連れて行ってくれる。しかし。
こないだ、弟のピアノソロのライブ配信を聴いていたら、弟がボソッと、弾き語りの間にこう言った。「僕の母には、父よりも好きな人がいたんです。幼い頃、その話を母から聞きました。その人は、父との結婚の背中を押してくれた人だったらしいのですが、世の中ってそういうこともあるんだ、と思いました」と。
私は瞑目した。・・・母は、確か私にもそんな話はしていた。「お母さんのことを本当に考えてくれていた人がいたのよ。その人は、僕じゃなくって他の人のところへ戻りなさい、と言ってくれたの」・・・だが、母のしかも自分の子ども(それも確か、小学生である)への恋バナや、過去の華やかな恋愛遍歴自慢にうんざりしていた私は、「それってふられたんでしょ」と、そっけなく返したので、母は怒り出して、それ以上その話はしなかった。
しかし、今ならばちょっとは理解する。できる。
その男性は、父よりも穏やかであたたかい優しい、いい人だったのだろう。でも、気性が荒くそして、浪費家の母は自分には抱えきれないという気持ちも、一方にあったのだろう。だから、父のところへ行った方があなたは幸せだ、とつぶやいたのだろう。それで、その人の面影がいつまでも母の中にはあったのだろう。
父は、甲斐性が抜群にあったし、また暖かい雰囲気もあった。困った人を見ると、ほうっておけない部分も多々あった。でも、言うことが非常にキツくて、やさしさとか思いやりというものを行動に乗せてしか表現できない人だったのだ。確かに、父には父のいいところがあった筈だ。
でも、母はそれを利用して利用して、浪費をして私のネグレクトをすることでしか、心の穴が埋められなかったのだ。母は強い人間ではなかった。とてもとても弱い弱い一人の女性だった。
それに、やっと気づいた晩年の父が、とうとうわがままで気球のように膨れ上がってしまった母を、事実上捨ててしまったので、母は田舎のホームで一人きりで死んだ。
私は、トイレからねこバスのマットとカバーを外して、スリッパと一緒に戸棚の奥の方にそっとしまった。
さよならねこバス。

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