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【詩】餞

父が卒寿を迎えたある日に
私に施設から長電話をしてきて
何気ない調子でぽつんと言った

「お母さんなぁ、お前が産まれてもな、
ミルクやったり、抱っこしたり全然しないんだよ。
だから代わりにお父さんが、一生懸命粉ミルク作ったり、
抱っこしてたりしたんだ」

思い出すと、私がうまれた頃
父は創刊されたばかりのan・anの取材記者だったので
夕方に家を出て
夜明けに帰って来る生活だった筈だ
(大昔の編集部とはそんなものだった)
母は、朝起きれば父が眠たそうに横にいるので
自分は面倒でやりたくない育児を
スポック博士の育児書をバイブルのようにして
全部父に押しつけてしまったのだろう
(そして父は人の世話を焼くのが得意分野だった)
しかし
父にも睡眠時間が必要だったはずで
いつ泣き出すか分からない私を抱えて
父はいつ眠っていたのだろうか

そして父は言った
「ほんとにおかしなお母さんで、
そもそもあれを貰ってしまったお父さんがいけないんだが、
親は他人だ。別の人間の始まりなんだ。
お前は、転んでも転んでも歩き出す強さを持っているから
自分の人生を生きなさい」

それから暫くして
父はオミクロン株に感染して絶命した
享年91歳だった

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