”ヴァイオレット”・エヴァーガーデンという少女について

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◯はじめに

10月29日、金曜ロードショーで放映されていた『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 特別編集版』を見た。
はじめに書いておくと僕はテレビ放送版の同作を、少しだけ見ていた。しかし内容はほとんど覚えておらず、今回が実質初めての視聴と言っていい。もちろん、原作小説にも触れていない。
それをふまえて今回、特別編集版『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を見て考えたことを書いていきたいと思う。おそらく愛好者の間では擦り倒されたテーマになってしまっている可能性もあるが、なにせ僕は今日”はじめて”作品に触れた身。そのあたりはどうかお手柔らかに。

※以下、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 特別編集版』のネタバレを含みます。

◯『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は”色”の物語

同作は心を知らない元少女兵・ヴァイオレットが、上官・ギルベルト少佐が残した「愛してる」の意味を求めて手紙の代筆業に携わる中で、人の想いや心を学び、成長していく物語。

この大まかなストーリーラインだけでかなり涙を誘うし、実際、取り上げられていたエピソードはどれも自分の生き方が恥ずかしくなるくらい清らかで美しかった。”神回”と名高い10話(最後のアンのエピソード)はもちろんのこと、ほかのエピソードにも深い感動した。そもそも10話のあの展開は卑怯だと言いたいくらいだ。あれで泣くなという方がどうかしている。

しかしながら僕が今作を視聴して最も心を動かされたのはその10話ではない。ルクリアのエピソードでも、オスカーのエピソードでもない。ギルベルト少佐の死に関連するバイオレットの葛藤でもない。

僕が最も心を動かされたのはこの物語におけるの役割だ。

同作は色と光の描写がとても印象的で美しい。

冒頭に映し出された雲ひとつない青空に、太陽光を煌めかせる紺碧の海。ホッジンズとともにライデンへ向かう道中、車の外に広がる草原の緑。ライデンの街には色とりどりの建物が並び、車が走る。時間とともに移ろいでいく幻想的な空の色や、夜を照らすガス灯の暖かさ。ルクリアと登った塔から眺めた黄金色の夕暮れ。オスカーの別荘を囲う木々の葉は紅と黃に色づいて、アンの十余年はさまざまな色とともに過ぎていく。

それらいくつもの色の中で、僕が特に重要だと感じたのは『青』『赤』の2つだ。

ヴァイオレットという名前を持っているにもかかわらず、ヴァイオレット・エヴァーガーデンの持ち物にはヴァイオレット色と呼べるものがない。
僕はそれが不思議に思えてならなかった。
色の名前が入るキャラクター名というのは往々にしてその色を身につけていたり気に入っていたり、あるいはひどく嫌悪していたりする。フィクションにおける人名と色とは、意味を持って繋がっているべきだと考える。

今回の特別編集版のなかでヴァイオレット色が登場するのは一度だけ。
ギルベルトとの出会いのシーンの中だ。木の根元にひっそりと咲くスミレを見て、ギルベルトがまだ名前のなかった少女を「ヴァイオレット」名付けるのだが、そこだけなのである。

しかしギルベルトは名付けのときにこう言っている。

「成長すれば君はきっとその名前にふさわしい女性になる」

つまりヴァイオレットの名前がヴァイオレットである意味がどこかにあるはずなのだ。

◯”平穏の青”と”悲劇の青”

ヴァイオレット・エヴァーガーデンは青い瞳を持ち、青い服を身に着け、青い日傘を差している。
彼女が身につけているものは基本的にはすべて(ギルベルトの髪も青なので精神的な意味で彼女を形作る存在だということもできると思う)色をしている。

ヴァイオレットは言わずもがな人の心を知らない少女である。冗談も通じないし社交辞令も通じない。気遣いもできない、空気も読めない。彼女には戦場で戦っていたときの記憶と経験しかなく、まるで単なる戦闘機械のようだ。両手が義手だったり、軍隊式の返答が抜けなかったりなど、言動の端々につらい過去が垣間見える彼女に、周囲の人々は同情するような顔を見せる。

しかしヴァイオレットは気にしない。周りの人間がどんな反応を見せようが平然としている。おそらくそれは義手や敬礼が彼女にとって当たり前のことであるから。彼女にとっては戦場が日常で、平穏こそが非日常だから。

今作においてはという色は平穏を表しているように感じられる。特に強い印象を与えるのが随所に描かれる空と海の青さ。4年にわたる戦争の果てに戻ってきた平穏な風景は、多くのシーンで青を基調としている。

平穏を象徴するがなぜ、悲劇的な過去を背負ったヴァイオレットの根幹にあるのか。それは平穏が彼女の中では逆転してしまっているからだろうと考える。
彼女は戦場が日常で、平穏が非日常なのだ。
彼女にとってのもほかの多くの人と同じく日常を象徴する色ではある。しかしながら意味が逆転しているために平穏ではなく悲劇をさしてしまっている。そしてこの世界がヴァイオレットにとって平穏ではないことを裏付ける証拠の一つとして、のちに明かされるギルベルトの死が挙げられる。
戦争が終わって平和になった現在の世界にギルベルトはいない。ならばその世界はヴァイオレットにとって悲劇でしかないはずである。

つまりヴァイオレットは”平穏の青”に満ちた世界の中で唯一人、”悲劇の青”を身にまとっている存在といえる。

◯”死の赤”と”救済の赤”

ヴァイオレットは戦場で多くの人間を殺めてきており、ホッジンズ曰く「君は自分がしてきたことでどんどん体に火がついて燃え上がって」いる状態にある。

を想起させる2つのモチーフはヴァイオレットをひどく傷つけてきたものであるはずだが、当初の彼女はそれを理解できていない。先のホッジンズの「体に火がついて燃え上がっている」という表現を、実際に自分に火が付いていると思ったように、彼女は戦場で人を殺めてきたことに対して何の罪悪感も抱いていない。仕方のないことである。それが彼女にとっての日常で、仕事だったのだから。

そんなヴァイオレットは、病死した娘を忘れることができないでいたオスカー・ウェブスターと出会い、大切な人を失うことの痛みを知る。そして彼との別れ際に「いつかきっと」という言葉を聞く。それは死んだ人間にありえたはずの未来を示す言葉だった。
帰りの船の中で彼女は自分がしてきたこと、多くの人間の「いつかきっと」を奪ってきたことの重大さに気がついて慟哭する。ホッジンズが告げた「体に火がついて燃え上がっている」の意味を理解したのである。この瞬間、という2つのが彼女を傷つけてきたということが分かる。これが”死の赤”である。

さらに直後に明らかになるギルベルトの死。ヴァイオレットは多くの人間を殺めてきた手を使って手紙の代筆をするという現状に疑問を抱き、やがて自責の念に駆られ始める。

ヴァイオレットがホッジンズにそのことを問いかけると、彼は涙ながらに「してきたことは消せない」と断じる。しかし一方で「君が自動手記人形としてやってきたことも消えないんだよ」とも告げるのだった。

もう一つの”救済の赤”はこのホッジンズの言葉にある。

思い返せば今作の中でヴァイオレットが出会い、手紙を代筆してきた人々はみな、身体のどこかにを身に着けていたように思う。ルクリアとルクリアの兄は赤毛で、オスカーも赤毛。アンが身に着けている服はヴァイオレットがいる間ずっと、赤いエプロンドレスだった。

これらのはヴァイオレットを傷つける色ではなく、ヴァイオレットに人の思いや心を教えてくれた色である。そして同時に、彼女の代筆によって救われた人たちの色でもある。

また、ライデンの街で手紙が配達されるのはなぜか決まって夜だ。暗い夜の中、ガス灯の下を歩いてヴァイオレットたちは手紙を届ける。ヴァイオレットが初めて代筆した手紙をルクリアの兄に渡した際も、夜、ランタンの下でだった。手紙とは人の心を伝えるものであると劇中で言われているから、それが相手のもとに届くとき、ガス灯は誰かの心を救う役割を果たしているということになる。

血と同じく火もまたを想起させる。多くの人を殺めて血を流させたことによって、ヴァイオレットはその身を罪の火に焼かれ、苦しんでいた。

しかし火は火でもガス灯の火は、人の心を届ける”救済の赤”を想起させるものでもあるのだ。

◯”ヴァイオレット”・エヴァーガーデン

ヴァイオレットは戦後の平穏な世界の中で”悲劇の青”を身にまとっている少女である。は彼女にとって悲劇の象徴、人の心を知らない状態の象徴。

そんな彼女は自動手記人形として働く中で自分の過去の間違いに気が付き、理解し、受け止める。さらにさまざまな人との出会いを通してこれまでの自分になかったを学んでいく。

”悲劇の青”を身につけているヴァイオレットは”死の赤”に心を痛め、”救済の赤”から救いと学びを得ることによって人間的に成長していく。

青に赤が混じると、やがてそれは紫(=ヴァイオレット)になる。

戦場しか知らず、武器としての生き方しか知らなかった少女が、徐々に人の心と想いを知って豊かな感情を手に入れていく。
ギルベルトが「成長すれば君はきっとその名前にふさわしい女性になる」と言った通り、彼女はこれから長い時間をかけて”ヴァイオレット”・エヴァーガーデンになっていくのだろう。

◯さいごに

ギルベルトの死と自分の過去を受け入れ、自動手記人形としての生き方も肯定できるようになったヴァイオレット。

特別編集版の最後は”神回”と呼ばれる第10話のエピソードで締めくくられた。これは何らかの病気によって余命幾ばくもない母親が、幼くして一人ぼっちになるであろう娘・アンのために50年に渡って届き続ける手紙を残すという話。

ヴァイオレットは50年分の手紙を代筆した。したためられた手紙にはすべて、現在のアンのことは書かれていない。すべて未来のアンのことだけが書かれている。8歳のアン、10歳のアン、18歳のアン、20歳のアン……。それは死に瀕していた母が見たかった娘の姿。「いつかきっと」の姿である。

戦場で多くの人の「いつかきっと」を奪ってきたヴァイオレットは、最後に一組の親子に「いつかきっと」を与える手助けしたのだ。代筆という仕事を通して。この話は単体でも美しいが、特別編集版全体を通して見ればより美しさが際立つエピソードになっていた。

惜しむらくは特別編集版であるがゆえにカットされた箇所も多いだろうということ。特にヴァイオレットが同僚であるアイリスやエリカと仲を深めるシーンがなかったことで、彼女たちからの手紙の重要性がだいぶ落ちてしまったように思えた。

なので日を改めてちゃんと、テレビ放送版も見ようと思う。

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