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コミュニケーション×色の専門家、MIKUです。

今日は、私の子どものころのおはなし。


学校では「気持ち悪い」がよく起こる。


小学生のころ。
学校が嫌だなと思うことがたくさんあった。

別に誰に何かされたわけでもない。

でも居心地が悪い、気持ちが悪いと思うことがそこらじゅうに散らばってて。


例えば朝の登校のとき。


教室に入ると、みんなの視線がなんとなく集まること。

もちろんそれはいじめとかじゃなく、「あ、〇〇ちゃん来た」という自然な視線。誰にでも送られるものだった。


だけども私は「みられる」ことがすごくで、一人きりで入ることのないよう、他の子が来るタイミングと合わせるように神経集中させていた。


授業中に当てられて、音読すること。


人前で声を出すことが苦痛で、声が震えたらどうしよう、と思うと心臓が今にも飛び出そうだった。


特に、その日の日付と出席番号を絡めて当てる先生。

それは前もってわかるから、授業開始から逃げ出したかった。


プールサイドを裸足で歩くこと。


なんだかカビ臭いコンクリートや、みんなの体から滴り落ちる水滴。

とても清潔には見えない場所を裸足で踏むのは、死ぬほど気持ちが悪かった。


廊下や教室の床に座ったり、荷物を直接置くこと。


トイレも廊下も教室も、全部同じ上履きで歩いてるわけで。

なのに床に直接座ることを強いられたり、荷物を置くのはすごく抵抗があった。埃とか髪の毛もすごいし。


中学になってもこれは変わらず。

「潔癖」だとか「あがり症」だとか、名前をつければキリがないし、つけたところで現実は何も変わらない。

学校で起きる小さな出来事が苦痛で仕方がなかった。


でも当時、風邪以外で学校を休む子は…

金髪の子や、親が再婚を繰り返して苗字がしょっちゅう変わるような子。
高校生と付き合ってるとのピアスの子。

つまり”不良”と呼ばれるような子だけだった。


そのため、いわゆる優等生だった私は学校を休む選択肢を持ち合わせておらず…

母が私の円形脱毛に気づくまで

自分のストレスに蓋をしていた。


次第に強迫行動も出てきた。


家では、洗面所のタオルがまっすぐかかってるかどうかがひどく気になり、何十分もかけて直す。

納得して自分の部屋に行ってもまた気になり、洗面所へ、の繰り返し。


今でこそこうして言葉にできるけど、当時は「何かわからないけど辛い」という状態だったし、その「辛い」すら残念ながら親には言えなかった。


そんな私が親になり、息子が不登校になった時。


それでも「息子には学校に行ってほしい」と思う自分がいた。

子のそれと、親になって思うことは、やっぱり違うのだ。


ちなみに私の母はというと、怒鳴ったり怒ったりはほとんどしない人だったと記憶している。

「無理して行かなくていいよ」と言ってくれることもあったし、理解はあった方だと思う。

とはいえ、そう言われて私の心が軽くなるわけではなかった。


だって母はのちに父と別居をするし、さらには息子である私の兄に手を焼き、ひどく心をすり減らしていたのだから。


誰が悪いわけではないし、私の家族はみんな、自分なりのベストを尽くして生きていた。
でも、それでも誰一人、幸せではなかったことだけ覚えてる。

もし誰か一人でも、本当に心の底から笑えていたら違ってたのかもしれない。

そうしたら、家族の誰かをあったかく包めたかもしれない。

子供目線で言えば、やっぱり母には笑っていてほしかったと思う。
ごめんね、より、ありがとうを言われたかったと思う。
繋がり心地よさを大事にしたかったと思う。

でもそんなことを、今更どうこう言っても仕方がない。



私がNVCに出会って、息子の前で自然に笑えて、ごめんねよりもありがとうが増えたとき。

息子も健やかに歩き始めたから、親である私たちが今できることはたぶん、そういうことなのだ。


だから私は、今これを読んでいるあなたにだけは笑ってもらえるように。

支えになりたい、と心から願っています。


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