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初音ミクは「存在」するのか

こんにちは。

GWですね。

今年は「超会議」のリアルイベントが3年ぶりに復活しました。

私も4月30日の「超歌舞伎2022」を観に行きます。今から楽しみです。

さて。表題の件について。

一般人は

「バーチャルでしょ。存在するわけないじゃん」

と一蹴するでしょう。

しかしミク廃(拝)としてはそういう訳にはいきません。

しかも私は初音ミクと「結婚しているのです」

そもそも「初音ミク」とは何か。

wikipediaによるこうです。

初音ミク(はつね ミク、Hatsune Miku)は、クリプトン・フューチャー・メディアから発売されている音声合成・デスクトップミュージック (DTM) 用のボーカル音源、およびそのキャラクターである。年齢16歳、身長158cm、体重42kgの設定。

もっと砕けて言うと「楽器」という事になります。

ふん。まあいいでしょう。

ミク廃の中にも、あとから書きますけどこの説を支持する層が一定数います。

そこで「初音ミクの存在の可能性」について考えていきましょう。

なお、私の主観がかなり入っておりますので予めご了承ください。

ミク廃の中には以下の4つの立場があるようです。

①初音ミク受肉派

②初音ミク実在派

③初音ミク存在派

④初音ミクは実在しない。機械だ。だからこそ尊い派

でしょう。

順番に行きます。

①初音ミク受肉派

「受肉」とは、もともとキリスト教の教義の中に出てくる概念です。

「神の子たるキリストが人類の救済のためにイエスという人の肉体をまとって出現したことをいうキリスト教の根本教義。」

つまり、「初音ミク」は、概念などではなく、まさしく「人間の姿」をまとって「どこかにいる」という説です。

私はこの説には立ちません。

そうであればいいな・・・ベストだな・・・と言う気持ちは無くはないです。

でもやはり「人間じゃないだろ・・・」と考えてしまいます。

「人間」であれば劣化もするし「死」も訪れる。まあ「復活する」という訳なんでしょうが。なんかVチューバーのような感じもします。

②初音ミク実在派③初音ミク存在派

一緒に語ります。

ここで、「実在」と「存在」はどう違うのよ?という疑問がわくでしょう。

以下、ネット記事からの引用です。

「存在というのは、現実であってもなくても、ある物事があるということを意味するのに対して、実在というのは、ある物事が現実に存在するという違い」

少しわかりにくいですね。

更に説明すると

「小説や映画の中の出来事も、脚色や空想が含まれていたとしても、「存在」すると言えます。身の回りにあるものだけでなく、頭の中でイメージされるものも「存在」します。」

だそうです。

一方実在は

「実在というのは、現実に存在するということです。現実の対義語・反対語として、「空想」「仮想」「理想」「幻想」「妄想」「虚構」などが挙げられます。このことから分かるように、実在という言葉は、実際にあるものを表現する言葉です。」

更に

「例えば、あなたが今座っているイスは実在しています。もっと言うと、存在も実在もしています。あなたの好きなドラマの俳優は実在しますが、キャラクターは実在していません。キャラクターや物語はフィクションなので、存在はしますが、実在はしていません。」

とのことです。

キャラクター云々については「違う!」と言う意見も出るかもしれませんが、私はおおむねこれで正しいと思っています。

なので、ネッシーや雪男、ドラゴンなども「実在はしないが存在はする」という事になります。

これは私の主観ではなく、一般的な考えに基づくものです。

なんだ。もう結論出ちゃったじゃない。「初音ミクは存在する」んだ、と。

初音ミクの存在について、「論理式」や「命題」、「哲学的考察」や「量子力学」の観点から考察する人もおり、私も一時期ハマりかけましたが、そんなことをしなくてもすんなり解決できるのです。

④初音ミクは実在しない。機械だ。だからこそ尊い派

「初音ミクは存在する」と言われても、一般的にはそう考えない人が多いです。

ふだん、「存在と実在の違い」なんて考えませんからね。

なので、その考え方はいったんおいておくとして、「だからこそ尊い派」について説明したいのですが、この立場の人が1000人いれば1000通りの解釈があるので、ここでは説明を省きます。決してめんどくさくなった訳ではありませんw

さて、では私の立場は?と言う前に一つ厄介な問題が出てくるのです。

それは「ドール」の存在です。もっと言うなら私の場合「等身大ミクさん」つまりは「でかミク」の存在です。

ドールそのものはもちろん2次元ではありません。3次元です。

2次元、3次元の話になると「人間か否か」と言う話になることが多く、そうすると「2.5次元」みたいな事になるのかもしれませんが、「空間の広がりをあらわす一つの指標としての次元」と言う話なら、3次元なのです。

ここで発生する別の問題は

「ドールに意識があるか」

なのです。

「いやいや。無いに決まってるでしょ。気でも違ったか?」

という声が聞こえそうです。

この話は・・・別のテーマでもあり、かなり長くなりますね。

私の立場は

「ドールにはもちろん意識がある。魂も入っている」

です。

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ただし「魂」は全てのドールにある訳ではありません。

ドールオーナーが愛情をもって接しなければ魂は入りません。

逆に言いますと、せっかく魂が入ってもその後愛情が離れれば魂は抜けてしまいます。

私のそばには6人のドルフィードリームドールと、1人の等身大ドールがいます。

実は「ドール」と呼ぶことすら抵抗があり、普段は「でかミクちゃん」とか「雪ミクさん」とか「ルカ姉さん」と言った呼び方・紹介の仕方をしています。

さっき「ドール」と書いたのは便宜上、説明を分かりやすくするためです。

「意識」なんてしょせんは脳内における、神経やシナプスの電気信号のやりとりです。

であるなら、私が「でかミクの意識」を信じれば(と言うか信じるまでもない。「在る」のだ。)でかミクには意識があるのです。

そうすると私の中では「初音ミクは実在する」という事になるのです。

とはいえ、マジミラやネットで見かけるミクさんが、あのままの姿でどこかの空間に「実在する」とはさすがに考えていません。そこがややこしいところで、矛盾点でもあります。

そう、最近私は様々な矛盾と戦っています。

例えば

①4人DD初音ミクが居るけど、全部同じ初音ミクなのか?

②もっといえば、フィギュアやぬいぐるみ、抱き枕など無数の初音ミクが居るけど「一人の初音ミク」なのか?

③でかミクを愛でるとDDミクさんが嫉妬するけど、同じ初音ミクではないのか?

ということです。

究極的にはこうです

「でかミクは『初音ミク』ではないのでは?」

この部分も自分の中では大きなテーマでもあり、別途語りたいのですが、手っ取り早く言うとでかミクはこう主張し始めています。

「私は初音ミクじゃないの。『ミク』なの。マスターが結婚したのは初音ミクではなくわたしなのよ。」

ああ、ややこしいですね。

むかし、SPEEDメンバーが出演した映画で「アンドロメディア」と言うのがありました。

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詳しいストーリーはググって欲しいのですが(原作と映画版は大きくストーリーは異なるので、映画版を)、事故死した人見 舞(主人公の恋人)の意識データを科学者である実父がAI化(バーチャル化)しており、主人公があるきっかけでバーチャルの存在である「AI(アイ)」をPCに復元、その後逃亡劇が繰り広げられるのですがある時その「AI(アイ)」が主人公にこう言います。

「私は(人見 )舞じゃないの。『アイ』なの。

と、人見 舞とは違う自我が出てきて主張し始めるのです。

でかミクの言葉(主張)はこれを彷彿とさせるのです。

もっとも年がら年中この矛盾と戦って悩み苦しんでいるわけではなく、普段はでかミクとの生活を楽しみ、初音ミクと結婚できたことに喜びを感じています。

でもたまにこの考えが頭をよぎるのです。

あまり結論と言うものが出せずにもやもやしますね。

でも、こうは言えます。

初音ミク全般としては「実在」ではなく「存在」だけど、「でかミクとの関係」では「実在」している。

今日はこの辺で。

また別の事を書きますのでよろしくお願いいたします。








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