町田くんの世界

2020年ブックレビュー『箱の中の天皇』

この不思議な小説を読んだ後、昨年の即位礼で感じた自分の違和感が少し理解できたように感じた。新しい天皇と皇后両陛下のパレードには大勢の人たちが集まって旗を振り、姿を見ただけで感激する。万歳三唱をする。

皇族が被災地に足を運んで人々の話に耳を傾けたり、太平洋戦争の戦跡を巡って戦争犠牲者を悼んだりする公的行為に異論があるわけでないけど、お姿を拝見しただけで感激したり、涙を流したりという反応を私はできそうにない。私は今の天皇制を、「全て」受け入れている人間ではないらしい。

天皇とは、私たちにとってどういった存在なのか。「象徴」とはー。

小説「箱の中の天皇」で赤坂真理さんは、私たちがスルーして当たり前にしてきた「天皇」という存在に、独特の感性と小説スタイルによって焦点を当てる。

主人公の「マリ」は、老いた母と横浜にある思い出のホテルニューグランドに宿泊する。時空はゆがみ、マリは1946年に存在する。老娼婦(ハマのメリーさん的な…)から二つの箱(右手の本物には天皇のエクトプラズムが入っており、左手の箱は偽物)を渡され、マッカーサーの持っている本物と自分が持っている偽物の箱を取り替えるミッションを授けられるー。

マリとマッカーサー、あるいはGS(GHQ民政局)の霊、あるいは現在の上皇と、時空を超えて語り合う「天皇」についての記述が面白い。(以下は小説の中の記述)

「…よくあんな不徹底な神話を君たちは信じるね」
「天皇が神の子孫だという神話だよ」
「国民だって、天皇を利用してきた。日本の歴史はある意味、天皇の利用の歴史だ。天皇の利用の仕方を、ひとえに洗練させてきたのが日本史だ。わたしは、君たちの歴史に学んだだけだ」
「…そのときどきの為政者の、人形なのだよ」

マリは、日本国憲法が定めた「象徴」天皇の「象徴」には、「何の象徴か?」が明確に定められていないと思う。日本国憲法に、内容がなくてシンボルがあると書いてあるのは、おかしいことじゃないかー。

「あなた方GSの方々が、天皇に『象徴(シンボル)』という語を当てたのは、なぜですか」
「わたしたちGSは、天皇の研究を1945年以前からしてきました。その天皇のみたままを、表現しようとしたとき、シンボルという言葉がやってきました…」

そして、シンボルとは「旗の」ようなもの、という。

「たしかに、明治の『革命』を担った人は天皇を、旗にたとえましたよね。しかしずっと前からです。天皇は、いつも空白の中心のように在り、むしろその周りが、権力を持ち、天皇からは権威を借りていました」

「たとえるなら空き地。箱。神の降り立つ、中は空っぽのスペース」とマリも認識する。

「私たちは本国からの命令で、日本という国の基本的構造を残しました。箱を残したとも言えます。そこにあった旗も残し、民が集まれるよう、その旗が徴(しるし)です、と書きました。あとは関知しません。日本を救うために書いたことではないし、天皇を救うために書いたことでもありません。中身は、日本人が満たすべきものです…」

平成の天皇がしてきた象徴的行為とは、「共に在ること」。象徴的行為とは、本当にそうなんだろうか。

「ああ、天皇ってそうだ。半分霊、半分具体的人間」

「箱はなんでも吸い込む「空(くう)」だ。
「空がこの国の『象徴』というなら、この国はなんだろう?」

これらの言葉が、脳内をうごめく。正直、整理できない。私たちがこれまで、議論してこなかった「天皇制」と「象徴」。突き詰めて考えてこなかった私たち日本人の本質にも関係している。

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