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32歳、大学院生になりました。そして、母になる。


会社経営、手帳制作、大学院受験、TEDx登壇
思いのままに走り抜けてきた31歳。


もっともっと、前へ前へ。
挑戦することが大好きだった。
見たことがない世界を見ることが大好きだった。

でも、走りきった後どこか疲れている自分もいた。
そんな疑問と向き合いながら走ってきた1年。


そんなわたしに立ち止まる時間と
自分に還るきっかけをくれたのは
「あたらしい命の訪れ」だった。

32歳の幕開けは、
小さな命が教えてくれた大切なこと。



あたらしいスタート

どれもかけがえのないわたしだった

31年の節目を振り返ると、いろいろな自分がいてくれたおかげで、今の自分があることに気づく。本気の自分、完璧主義な自分、ワクワクに素直な自分、頑張り屋さんな自分、意外と強くない自分、つながりを大切にする自分———。

どれも大切な自分で、どの自分が欠けていても、今の自分は存在しない。でもぶっちゃけた話をすると、頑張ることに疲れていた自分もいて、そんな矛盾に違和感を抱えながら生きていた。心の違和感と向き合いながら新しい年を迎えた2023年。

拠点を名古屋から東京へ移し、春から慶應の大学院に入学。引越し準備を進めていたころ、お腹に新しい命がきてくれていたことに気づいた。当時、いろいろな気持ちが溢れてきたけど、一番最初に出てきたのは「ありがとう」という感謝の気持ちだった。


不安と葛藤

それと同時に、感じたことのない不安も襲いかかってきた。大学院と会社経営の両立だけじゃなく、子育てまでできるんだろうか?私はちゃんと母親になれるのだろうか?お腹の子は元気に育ってくれているのだろうか?私の不安が赤ちゃんにいくのではないか?経験したことがないことの連続で不安でいっぱいだった。


コントロールできない不安やどうなるか分からない未来を考えても仕方ないと、いつものように「今」にフォーカスしようとするものの、ホルモンバランスとは面白いものでなかなか制御できない。(この頃から何かにつけてホルモンバランスのせいにしていた笑)


そこに加えて襲いかかってくる睡魔と疲れと悪阻。ごきげんに生きようとしても、自分の身体と心を整えることがなかなかできなくて、大好きな海の近くで休もうと逃げるように宮古島に行った。



そこで過ごした10日間は、すごく不思議な時間だった。最低限の仕事以外は予定を入れず、ただぼーっと海を眺めて過ごした。これまでは立ち止まることが怖くて、頑張らない自分になることが怖くて、気づけばずっと走り続けていた。こうして強制的に立ち止まるきっかけをもらえたことで「頑張らない自分には、価値がいない」そう思っている痛みと真正面から向き合う貴重な時間を取ることができた。

宮古島で過ごしていたある日、自分を苦しめてきたものの正体に気づいて、思わず涙が止まらなくなった瞬間が訪れる———。



命がおしえてくれた大切なこと

命の意味を教えてくれたのは、新しい命だった

新しい命の訪れは、私に大切なことを教えてくれた。17歳の時に大好きなお父さんを亡くした私は、頑張ってくれているお母さんを少しでも喜ばせたくて必死だった。頑張ることで誰かを喜ばせることができると信じていた。だから頑張ることが大好きだった。

▼ 当時のエピソードはこちら

でも、いつもお母さんからかけられる言葉は「もう頑張らなくていいよ」「ほんとうのみくじゃない」だった。それを言われる度に、自分の頑張りを否定されているような気がして悲しかった。でも、お母さんの伝えたかった言葉の意味がふとした瞬間にやっと理解することができた。



「生きているだけでよかったんだ」

小さな命が心臓を動かしているキセキ

自分が命を授かってみて、人がこの世に生まれるということは想像を遥かに超えるくらい本当に奇跡だということに気づけた。たった5mmほどの小さな命が、心臓を動かしている。その姿を見たときに感じたことは「生きててくれてありがとう」「今日も心臓を動かしてくれていてありがとう」。ただそこに存在していることに対する感謝と愛だった。そこには何も期待なんて存在していなくて「もっとこうなってほしい」とか「もっと頑張ってほしい」とか、そんな気持ちは全く存在しないことを理解できた。そのときようやくお母さんが言っていた「頑張らなくていい」の意味が理解できたのだ。

なんでか分からないけど、その瞬間、涙が止まらかった。なんだ、、、生きてるだけで良かったんだ。私がただ今日を生きている、それだけで価値があったんだ。これまでも違和感と向き合うことで、なんとなくは分かっていた。でも分かりきれていなかった。それがパズルのピースがハマるように、急にピタッとハマったような感覚だった。


海を散歩しながらお母さんに電話をして、私を産み育ててくれたことに対する感謝と、大人になった今も変わらない愛情を注いで大切に想ってくれていることにありがとうを泣きながら伝えた。なんだかすごく心が軽くなった。

新しい命の訪れは、生きていることの尊さと無償の愛を教えてくれた。




「がんばる」より「たのしく」

がんばるわたしから、たのしむわたしへ

これまで頑張ることが大好きだった私。その理由が明らかになった。それに気づけたとき、生まれてきた想いは「がんばる」より「たのしむ」だった。

これまでは周りのあたたかい「応援」を勝手に自分の中で「期待」に変えていた。自分の中で責任を感じてやってきたことも、本当は「応援」してくれていただけだったんじゃないか?そう思えた瞬間、肩の力が一気に抜ける不思議な感覚があった。


これからは、もう何者にもならなくていい。もう頑張らなくていい。その先に最高の未来があるんだ。そう思えていることが、そう信じれるようになったことが、大きな大きなわたしの一歩のように感じている。

この大切な一歩を踏み出せたことは、たくさんの私がいてくれたからこそ気づけたこと。「本気の自分」「完璧主義な自分」「頑張り屋さんな自分」どんな自分にも今は心から感謝ができる。たくさんの私のおかげで、私は今を幸せに生きられているよ。


どんなわたしもわたしで、どんなあなたもあなたで、どんな感情も経験もすべて愛おしい。そう思えた今、前に進むとか上を目指すとかじゃなく、今この瞬間に感謝して生き続けたい。その先に、幸せにできる自分も、幸せにできる人も、幸せにできる未来も、きっともっと広がっていく。

これまでとは違う「やさしくてつよい覚悟」が生まれた。





やさしくてつよい覚悟

心かるくいまを生きる

新しい命の訪れは「やさしくてつよい覚悟」をくれた。

これまでとやっていくことは変わらない。やりたいことも変わらない。変わったのは、覚悟のあり方だった。誰かのために頑張るんだという力の入った責任感の強い覚悟ではなくて、心かるく楽しみながらみんなで幸せになるんだというやさしいんだけどつよい覚悟だった。

そして、一度きりのぶっつけ本番の人生だから、やりたいことはぜんぶやってみたい。なにかをとってなにかを諦める生き方じゃなくて、自分の心に素直にわたしの人生を感情をつながりを謳歌したい。そんな「わたし」でありながら、「あなた」のことを大切に、「みんな」のことを心から思える自分でありたい。


経営者、大学院生、お母さん。
三足の草鞋の冒険はがはじまる。どんな状況も今をどう生きるかは自分の意味づけ次第。どうせなら楽しんでいこうじゃないか✨




いま伝えたい「ありがとう」

すべてのおかげでいまがある

このnoteを書きながら、いろんな「ありがとう」が込み上げてきた。

ここまで頑張ってくれた自分へのありがとう。たくさんの愛を注いでくれた家族へのありがとう。いつも心から大切にしてくれるアンディくんへのありがとう。ひとりで頑張らなくていい勇気をくれたICOREのみんなへのありがとう。自分の人生で出会ってくれたすべての人と経験と感情に対するありがとう。

なにがあっても、ありがとう。そう思えるわたしで心かるく楽しく生きていこう。



いつも応援してくださりありがとうございます☺️🌼 🍀これからもみなさんの健康と幸せを大切に🍀 サポートしていただけるととっても嬉しいです✨