日本キリスト改革派岡山教会 2024年7月28日礼拝説教(使徒言行録 5章12〜26節)
【7月28日朝の説教】
◎聖 書:使徒言行録 5章12〜26節
◎説教題:「命の言葉を語り続ける」
〜何があろうとも守り続けていくことがある〜
◎説教者:柏木 貴志 牧師
【メモ】
◎12節「多くのしるしと不思議な業」=病の癒し
ペテロ(使徒)による病の癒しを求めて人々が押し寄せた。
◎『使徒言行録』(ルカ)の強調点=「一同は心を一つにしてソロモンの回廊に集まって(祈って)いた」
多くの奇跡の背景にはキリスト者の祈り(4:29、30)があった。
「一人一人が大胆に福音を語れるように」、「隣人を愛することができるように」、「イエス・キリストの御名の偉大さが明らかになるように」と彼らは祈り、神はその祈りに応えてくださった。
◎教会には金も銀もない、食料もそんなにない。
でも「命のパン」であるイエス・キリストがおられる。
金銀や食料への欲求は人々をバラバラにし、却って人々を飢えさせる。
でも教会が心を一つにして、イエス・キリスト御名によって祈る時、一人一人が満たされる。
◎自分一人の祈りによって生きていけるクリスチャンはいない。
教会全体の祈りが一人を生かし、一人の祈りが教会全体を建て上げる。
◎最初期のキリスト教会にも混乱があり分裂があった。
決して現代の教会の模範になるとは言えない。
それでも彼らの祈りが2000年以上にわたり、今日の私たちまで福音を繋いでくれた。
◎13節…エルサレムの民衆はキリスト者と共に生きる勇気がなかった。敷居が高かった。
それでもキリスト者の「心を一つにして祈り、隣人を愛する姿」を尊敬せずにはいられなかった。
◎17節…「使徒vsサドカイ派」
ファリサイ派は少なくとも「メシアの到来と死者の復活」を信じていた。
しかしサドカイ派はそのいずれも信じていなかった。だから「メシアとその復活」を説く教会との衝突は不可避であった。
◎19節…「主の天使」=「神様から遣わされた者」
天使が人間だったか超自然的存在だったか(羽や輪っかが付いていたか)は問題ではない。
むしろここで“天使”は人間的なやり方で使徒を助けている。
◎23節…「牢にはしっかり鍵がかかっていたうえに、戸の前には番兵が立っていました。」
使徒たちが幽霊や透明人間になった訳ではない。
「鍵を持った人間=番兵が鍵を開けて脱走を手引きした」と言う事を暗示している。
↓
祭司長の直属の部下である番兵たちが、職務に背いてまで使徒たちを助けた。
使徒たちが壁をすり抜ける事以上の奇跡!!
「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」…“天使”は4:29の祈りを知ってすらいた。
◎24節…「どうなることかと〜思い惑った。」
彼らは「なぜ逃げられたのか」とは問わなかった。
自分たちの部下に“内通者”が居ることを察していたので、「もはや打つ手がない」と困り果てた。
◎天使は使徒たちが逃げるために逃がしたのではない。福音を伝え続けるために逃した。
クリスチャンが福音を喜び、福音に生き、福音を伝えたいと願うなら、神は必要な助けを遣わし、その志を遂げさせてくださる。
【次主日(4月28日)の朝礼拝】
『岡山教会伝道開始記念礼拝』
◎聖 書:ヨハネによる福音書 10章1〜6節
◎説教題:「羊はその声を聞き分ける」
〜聖書を通して語られる神のみ声を〜
◎説教者:柏木 貴志 牧師
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