日本キリスト改革派岡山教会 2024年01月28日礼拝説教(ヨハネの手紙一5章13〜21節)
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2024年1月28日朝の説教
◎聖 書:ヨハネの手紙一5章13〜21節
◎説教題:「真実の神、永遠の命」
〜わたしたちが知っている確かなこと〜
◎説教者:柏木 貴志 牧師
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【メモ】
◎「子たちよ」
→ヨハネ自身の愛の呼びかけであり、「あなたは神の子だ」という真理の宣言
◎「あなたは神に愛されている」「神は愛である」「互いに愛し合いなさい」の繰り返しから、「偶像を避けよ」で閉じられる。
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若干唐突な感があるが、実は今まで語ってきたテーマと通じている。
◎「偶像」=神ならざるものを神として崇めること→反キリスト
2:22「御子を認めない者(イエスをメシアと認めない者)、キリストに代わってキリストの如く振る舞う者、これこそ反キリスト」
◎目に見える反キリスト(自称キリスト)は怖くない(教会を混乱させるが崩壊はさせない)
一目見て「おかしい」と分かるから。
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「神に従うよりも自分の価値観に従う」「人を愛するよりも自分を愛する」
そんな「本当は良くないだろうけど、まあこれぐらいしょうがないでしょ」という、薄くても空気の様に私たちを満たしている「反キリスト性」こそが恐ろしい。
◎ヨハネ「自分の中の偶像(反キリスト)は見えにくく、またそれと全く無縁では生きられない。
だからこそ、日々、意識的に、偶像を遠ざける様に生きなさい」
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自分の中の反キリストを放っておくと強固になる。
やがて「神のために、教会のために、正義のために」と主張する自分自身が偶像になって、偶像同士の争いが教会を破壊する。
◎偶像に対する特効薬は「正しさに殉じる」のではなく、「愛に殉じる」こと。
神ご自身がそうなさったように。
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神は正しい御方でありながら、その正義で人間を裁かなかった。
(もし正しく裁いていたら、誰一人生き残ってはいないだろう)
人間を愛するために、十字架を通して自分自身を裁いた。
神はその全能の力を、人を裁き自分の正しさを示すためではなく、人への愛に殉じるためにのみ用いられた。
◎「私たちは知っている」
神の力、神の正しさは、正義を貫くためではなく愛を貫くためにあることを。
人間が言い得るどんな正しさよりも、神の愛の方が正しく、大きく、力強い。
◎「私たちは知っている」
この世は悪に支配されている=「神の子なら、自分で自分を救ってみろ、自分の正しさを証明してみろ」という声に溢れている。
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でも悪が私たちを支配することはできない、悪の声に惑わされる必要はない。
どんな声よりも正しく力強い神の愛の中で、わたしたちは今すでに生きているのだから。
◎「高慢」ではなく「謙遜」を通して、神の力は生き生きと働く。
◎自ら勝ち取ったものに己を安心させるものはない。
「赦されて、愛されて生きている」という事実にこそ、最も大きな安心がある。
「私がどう歩んだか、私が何を持っているか」に関係なく、この事実は揺るがない。
【次主日(2月4日)の朝礼拝】
◎聖 書:詩編86編
◎説教題:「私たちはあなたの慈しみに生きる者」
〜神の慈しみは人を超えて〜
◎説教者:柏木 貴志 牧師
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