日本キリスト改革派岡山教会 2024年3月17日礼拝説教(コリントの信徒への手紙一 15章50〜58節)

↓前回の説教↓


【3月17日朝の説教】
◎聖 書:コリントの信徒への手紙一 15章50〜58節
◎説教題:「復活信仰に固く立つ」
〜復活は死に対する完全勝利〜
◎説教者:佐々木 稔 教師


死は勝利にのみ込まれた。 死よ、お前の勝利はどこにあるのか。 死よ、お前のとげはどこにあるのか。 コリントの信徒の手紙一 15章54、55節から イエス様によって終末に私たちは復活し朽ちない体を与えられる約束をいただいています。復活の信仰...

Posted by 日本キリスト改革派岡山教会 on Sunday, March 17, 2024


50兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。
51わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。
52最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。
53この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。
54この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。
「死は勝利にのみ込まれた。
55死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
死よ、お前のとげはどこにあるのか。」

56死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
57わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。
58わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。

【メモ】
◎クリスチャンはキリストの再臨と共に、永遠に朽ちない体が与えられる。

「死への勝利」がハッキリとわかるのはキリスト再臨の時だが、クリスチャンはすでに死に勝利している。

◎「なぜクリスチャンは復活させられるのか」(復活させられる必要があるのか)
=「肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。」(50節)
クリスチャンは神の国を受け継ぐ者として、永遠に続く神の国を生きるに相応しい、霊の体が与えられる必要がある。
永遠に神との交わりを喜ぶために、永遠の体が与えられる。

◎疑問「死んだ者が復活することは分かった。では再臨の時に生きている人はどうなるのか?」

51節「わたしはあなたがたに神秘を告げます。」
神秘(ミステリー)=人間の理性や常識では受け入れられない、神の啓示として信じる他には受け入れようがない、高度な霊的な真理
「わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません」
=クリスチャンが皆、死を経験するわけではない。生きたまま世の終わりを経験するクリスチャンも居る。

◎「わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。」
「復活」の本質とは、「死んだ肉体が蘇生する」ということではない。
生きている者も死んでいる者も、神の国を生きるに相応しい「朽ちない体」へと創り変えられること。

◎52節「最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。」
時間を掛けてではなく、一瞬の内に創り変えられる。
(「朽ちる体」と「朽ちない体」に中間の時はない)

「ラッパ」…旧約において、民を集める時、(神の命じる)戦いに出陣する時に鳴らされた。
=復活は、神の御業である事がハッキリ分かる形で成される。

◎「死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。」
死者と私たち(生きている者)の復活に前後は無い。
再臨の時、「あの人は復活したのに私たちはまだだ」と心配することは起こり得ない。

◎53節「この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。」
今は朽ちる者として生き続けなければならないが、親が子の体の上にコートを着せてくれる様に、終わりの日には神様が「朽ちない体」を着せてくださる。

◎「死は勝利にのみ込まれた。
死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
死よ、お前のとげはどこにあるのか。」(イザヤ25:8)

◎56節「死のとげは罪であり、罪の力は律法です。」
罪(神への違背)が人間に死をもたらした。
その様な罪の“致死性”を律法が明らかにしている。

◎57節「わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。」
クリスチャンは復活の時まで勝利できないのか
→否、私たちは主にあってすでに勝利している。
クリスチャンは死んでも死で終わらない命を、既に生きている。
ゆえに死がもたらす恐怖や虚無感から解放されている。

「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」


【次主日(3月24日)の朝礼拝】
◎聖 書:マルコによる福音書15章33〜41節
◎説教題:「十字架に交わる告白」
〜暗闇のなかに灯る光の言葉に聴く〜
◎説教者:柏木 貴志 牧師







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