日本キリスト改革派岡山教会 2023年12月10日礼拝説教(ヨハネの手紙一1章5〜10節)
↓前回の説教↓
◎聖 書:ヨハネの手紙一1章5〜10節
◎説教題:「光の中を歩む」
〜神の言葉を基に、神と共に、人と共に〜
◎説教者:柏木 貴志牧師
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【メモ】
◎グノーシス主義者「この世(肉)は闇であり、穢れしかない。神は光なのだから、神を信じる者は闇であるこの世を厭い捨てるしかない。」
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◎ヨハネ「確かにこの世には闇があり、この肉には穢れがある。しかし神様はこの私たちを愛し、私たちと同じ肉を纏い、私たちと同じ地平に立たれた。」
「それほどにこの世は愛されているし、この世において“光の内を歩む”ことは可能だ」
◎私が愛せずとも、皆すでに神様に愛されている。
私が赦せずとも、皆すでに神様に赦されている。
キリスト者の『愛』とは「私の意志・能力に依存した愛」ではない。
「皆すでに神様に愛されている」という事実に立つ。
=「神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。」(2:6)
◎「赦しの共同体」において、人は「赦す者」へと成長する。
◎「反キリスト」=神の御子を信じない(神の御子が私たちと同じ人となって、生まれて、死んで、復活したことを信じない)。
◎「アンチ・クリストス」(希)…「キリストの代わりに」「キリストに代えて」
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「自分自身がキリストに成り変わる」ところに反キリストの恐ろしさがある。
単に「私にはキリストが信じられない。他の神様(仏様)の方が正しいんじゃないか」という未信者・異教徒ならまだ対話の余地がある。
少なくとも「自分自身の内に真実が無いこと」を分かっているから。
しかし「自分は答えを持っている。自分の答えが自分を救える」と思っている反キリストは、福音に心を開かない。
◎19節「彼ら」=反キリストは複数形。彼らは決して特殊な問題児ではない。私たちは皆、潜在的な反キリスト。
◎「キリストに倣う者・キリストに忠実な者でありたい/でもそうなれない」
このギャップに耐えられない、ギャップを埋めたい、だから自分がキリストの代わりになって、御言葉を捻じ曲げる。
◎20節「しかし、あなたがたは聖なる方から油を注がれているので、皆、真理を知っています。 」
◎聖霊の働き=「あなたは罪人である」しかし「あなたはキリストの故に赦されている」この事実を悟らせ確信させる。
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だからこそ、(聖霊を受けた)クリスチャンは、自分がキリストに成り代わらずとも、ギャップを抱えたまま生きていける。
◎御子を認める=「御子が人となられたのは、この私のためだった」と認める=自分の罪を認める。
◎「イエスが歩まれたように歩む」=罪人として生きる、自分の十字架を意識しながら生きる。
それは「神様に赦されている」という自覚を持つ者にのみ可能な歩み。
【次主日(12月17日)の朝礼拝】
◎聖 書:コリントの信徒への手紙一15章20〜28節
◎説教題:「復活の初穂としてのキリスト」
〜復活には順序があります〜
◎説教者:佐々木 稔教師
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