日本キリスト改革派岡山教会 2024年4月14日礼拝説教(ヨハネによる福音書8章39〜47節)
↓前回の説教↓
【4月14日朝の説教】
◎聖 書:ヨハネによる福音書8章39〜47節
◎説教題:「真理に対する抵抗」
〜真理を拠り所としない自由の錯覚〜
◎説教者:柏木 貴志 牧師
【メモ】
◎イエスの言った「自由にする」という言葉に、ユダヤ人たちは引っ掛かった。
イエス「神の言葉を受け入れ、神の言葉に留まりなさい」
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ユダヤ人「私たちはアブラハムの子(=神の民)だ、私たちは既に自由であって誰かの奴隷ではない」…ユダヤ人たちは自分たちへの侮辱、ひいてはアブラハムと神との契約への冒涜と受け止めた。
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人は誰でも「自分は何者か(自分は〇〇だ)」という自己認識、帰属意識を持たなければ生きていけない。
ユダヤ人にとって、「私はアブラハムの子孫だ=神の民だ=自由だ」という自己認識さえあれば、実際は貧しくとも、誰かの奴隷になっても生きていけるが、それが無くなれば生きていけない。
「あなたは自由ではない」というイエスの言葉は、ユダヤ人たちの命綱を断ち切る様な言葉として響いた。
◎イエス「そうだ、あなた方は神の民だ。しかし神の民ならそれに相応しい生き方があるだろう。
それが出来ていないのに、まだ『自分は神の民だ』と言えるのか」
(神の民に相応しい生き方=神の言葉を聞く。)
◎ここでイエスは、神の言葉を知らない人に「聖書を読みなさい」と訴えているのではない。
神の言葉を知っている(それも「何頁の何行目にはこう書いてある」と暗記しているレベルで!)人に、「あなたは神の言葉を聞け」と訴えている。
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「聖書の文字を知っている」ということだけでは十分ではない。
あなたはその言葉にどう応答しているのか、「神の言葉を知る者」としてどう生きているのか。
◎「あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。」
=「あなた方の聖書の読み方は、神の民の読み方ではなく、悪魔の子の読み方だ」
(自分の欲望を満たすための言葉だけを受け入れ、「真理に背く者よ、真理に立ち帰れ」という言葉を受け入れない。)
◎「悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。」
自分の欲望を満たすのを邪魔する者は、殺さずには居られない。
この自己中心性が悪魔の本質。
◎「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません。わたしたちにはただひとりの父がいます。それは神です」
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「私たちは神の子だ」=「だがお前は姦淫の子だ」(肉的にも霊的にも)
それは人を殺すための言葉であり、人を生かす言葉(神の民に相応しい言葉)ではなかった。
◎その人の聞いた言葉が、その人の話す言葉を形作る。
自分の欲望を満たすために(悪魔のように)御言葉を聞くなら、その話す言葉も悪魔の言葉になる。
◎「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。」
=「あなたが神の子なら、神があなたを丸ごと愛されているように、あなたも神の言葉を丸ごと愛するはずだ」
(アガペーとは自分の都合に合う部分だけを愛するのではなく、相手を丸ごと愛すること)
◎創世記18:2…イサクの誕生が語られる前から(神からアブラハムへの祝福が告げられる前から)、アブラハムは神の言葉に平伏した。
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神の言葉を丸ごと愛する時、私は私の欲望から解放される。
そして自分の受け入れた言葉(神の言葉)が、自分の発する言葉を形作る。
そして神の言葉を発する者は、誰からも罪に定められない。
「いったいだれが、わたしに罪があると責めることができるのか。わたしは真理を語っているのに」(46節)
【次主日(4月21日)の朝礼拝】
◎聖 書:コリントの信徒への手紙一 16章1〜12節
◎説教題:「神への感謝としての献金」
〜週の初めの日に献げる〜
◎説教者:佐々木 稔 教師
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