日本キリスト改革派岡山教会 2023年12月31日礼拝説教(ヨハネの手紙一4章7〜12節)

↓前回の説教↓


◎聖 書:ヨハネの手紙一4章7〜12節
◎説教題:「ここに愛があります」
     〜愛が世界と人間とを救う〜
◎説教者:柏木 貴志牧師


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神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。 ヨハネの手紙一 4章9節 神の愛とは見返りを求めない、人を生かす愛であり、私たちを離れることはあ...

Posted by 日本キリスト改革派岡山教会 on Sunday, December 31, 2023


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7愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。
8愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。
9神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。
10わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。
11愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。
12いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。

【メモ】
◎『ヨハネの手紙第一』のテーマ…「神は愛である」「神の愛が形になったのがイエス・キリスト」「神に愛されているのだから、互いに愛し合おう」
「“愛する”ことを貫こうとすれば、“世”との軋轢は避けられない。
実に“愛すること”は“闘うこと”なのだ」

◎「近代日本は“愛”という言葉を輸入した。しかし日本人が語る“愛”という言葉は空っぽであり、空回りしているのではないか」(伊藤整)
日本人がイメージする(文学・エンタメで描写される)“愛”とは、自我への執着に根差した他者への支配欲に過ぎないのではないか。

◎「“愛”とは人間には本来不可能なことであり、“祈り”と“懺悔”なしには実現しない。日本人はそこまで輸入しなかった」(同)
→西洋(キリスト教文化圏)における“愛”が「普通の人間からは出て来ないこと」、「自己否定・聖なる者への帰依なしに“愛”は実現しないこと」を、伊藤は指摘する。

◎神を知らない人間にとって、“愛”と言えば「恋愛・性愛(エロス)」、或いはせいぜい「家族・仲間への愛(フィリア)」というイメージしかない。
それ故に"互いに愛し合いなさい"というキリスト者の言葉は、異教社会(古代ローマ、日本)において誤解を招いてきた。

それらは対象を選ぶ条件付きの愛であり、多少なりとも見返りを期待する愛。

◎ヨハネ「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛された」
「神がわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべき」
=神の愛(アガペー)こそが、人間(クリスチャン)の愛の根拠であり見本。

◎神の愛(アガペー)とは
①神の愛は相手に条件を付けない、見返りを求めない。
(私たちが神を求めるに先立ち、神はずっと前から「私はここに居る、我が名を呼べ」と、呼び掛けておられる)
②神の愛は相手を束縛しない。
イエス「安心して行きなさい」(信仰も献身も、義務や条件ではない。神の愛を通して与えられた自由の行使。)
③神の愛は人を生かす
⇆「軛を負わすこと、指をさすこと、呪いの言葉をはくこと(イザヤ58:9)」
(「お前はダメだ、生きる価値もない」という言葉は、言う側も言われる側も束縛して命を奪う。)

イエスはその様な私たちの敵意と呪いの報いである十字架を、一身に引き受けられた。
だから私たちがどれだけ呪いの中に身を浸していても、呪いは私たちに傷一つ付けない。
④神の愛には終わりがない。
「これだけやったのだから、もう良いだろう」と満足することが無い。
(もし神が御自身の愛に「もう良いだろう」と思うことがあれば、私たちはたちまちに死んでしまうだろう)

◎「“愛”とは人間には本来不可能なことであり、“祈り”と“懺悔”なしには実現しない。日本人はそこまで輸入しなかった」
→日本人にとって“祈り”や“懺悔”と言えば、「苦行・鍛錬の末に神仏に近づいて行く」というイメージが強い。
しかしクリスチャンは
「私の祈りと懺悔に先立って、愛である神様の御手が私を抱いておられる。神様の愛に抱かれているからこそ自分も愛することが可能になる」
ということを確信している。

◎私たちが本当に神の愛の大きさを知るなら、神の愛に失望させられることは無いし、同様に自らの愛に失望する必要もない。


【次主日(1月7日)の朝礼拝】
◎聖 書:ヨハネの手紙一5章1〜5節
◎説教題:「必ず最後に神の愛は勝つ」
     〜2024年が神様の愛の中に導かれますように〜
◎説教者:柏木 貴志牧師





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