日本キリスト改革派岡山教会 2024年2月18日礼拝説教(コリントの信徒への手紙一 15章35〜49節)
↓前回の説教↓
【2月18日朝の説教】
◎聖 書:コリントの信徒への手紙一 15章35〜49節
◎説教題:「復活の体」
〜復活の体は、どのようなもの?〜
◎説教者:佐々木 稔 教師
【メモ】
◎「クリスチャンには復活が約束されている」
⇄反対者「人が死ねば朽ち果て、骨さえも消えるではないか。それが一体どのようにして復活するのか」
↓
パウロ「愚かな人だ。復活は人間の力、人間の肉の性質によらず、全能の神の力によるから可能なのだ。」
①「自然界のありさまが、復活の可能性を示唆している」
②「復活前の体と復活後の体は全く異なる性質を持つ」
パウロは種まきの例えを用いて説明する。
「種を蒔くと、やがて種は跡形も無くなる。しかし全くの“無”になるのではなく、新たな実が生まれる。
人間もまた、自然の命の体が蒔かれ、死んでその肉が跡形も無くなる過程を経て、新しい霊の体が実るのだ」
◎「どの肉も同じ肉という訳ではない」
神は空を飛ぶ体も、水の中で生きる体も、知恵を持って神を礼拝出来る体も創られた。天上を照らす光の体(天体)も創られた。
あらゆる体を創るその全能の力をもって、創造主は復活の体を創られる。
◎復活を通して神の栄光が現れる。
復活を信じるがゆえに真に創造主を礼拝出来る。
◎「蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し」
復活とは罪人(神との断絶に置かれた者)としての生涯の延長ではない。
キリストと同じ、「罪と関わりのない、永遠に神と共に生きる者」へと再創造される。
◎「自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活する」
クリスチャンはアダム以来「自然の命の体」を受け継いでいる。
「自然の命の体」もまた、神の特別な保護を受け、日々聖められつつあるが、
罪と腐敗から完全に無縁となることは出来ない。
↓
しかしクリスチャンには、「最後のアダム」イエス・キリストによって、霊の体が与えられるという約束がある。
◎「最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。
土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、
天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。
わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。」
↓
最初の人は土から来たのだから、土に還るのは自然なこと。
それと全く同じ、全く自然な事として、第二の人は天から来るのだから、天の(神の)性質を持つ。
【次主日(2月25日)の朝礼拝】
◎聖 書:ヨハネの手紙三 1〜15節
◎説教題:「真理の手紙」
〜いつなんどき、誰に対しても真理を語ろう〜
◎説教者:柏木 貴志 牧師
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