日本キリスト改革派岡山教会 2023年12月3日礼拝説教(ヨハネの手紙一1章5〜10節)

↓前回の説教↓


◎聖 書:ヨハネの手紙一1章5〜10節
◎説教題:「光の中を歩む」
     〜神の言葉を基に、神と共に、人と共に〜
◎説教者:柏木 貴志牧師


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しかし、神が光の中におられるように、私たちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。 ヨハネの手紙一1章7節 私たちは罪を犯す存在ですが、その罪を見つめて、神様に罪を告白し、イエス様の血によ...

Posted by 日本キリスト改革派岡山教会 on Sunday, December 3, 2023

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5わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。
6わたしたちが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません。
7しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
8自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。
9自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
10罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。

ヨハネの手紙一1章5〜10節

【メモ】
◎『ヨハネの手紙』=「愛の手紙」「交わりの手紙」、そして「戦いの手紙」。

◎手紙の受け取り手=グノーシス主義者に脅かされ、多くの信徒が去っていた。

◎グノーシス主義=「霊=恒常、理想、善」「肉=不常、堕落、悪」という善悪二元論
「この肉体・この世界は、霊(唯一の人間主体)にとって暗闇であり牢獄である。
この世に見切りを付けて、神様がおられる光の世界にだけ目を向けよう」

極端に禁欲的になるか刹那的になるか、いずれにしても「この世で(一生懸命)生きること」を「無意味・無価値」として冷笑する生き方。

◎キリスト者の答え=「形有るものも無いものも、全ては神様が“よきもの”として創造されたのだから、神様が放っておかれる訳がない。
むしろ“その独り子を与えられた”ほどに、この世は神に愛されている。」

◎この世に闇はある。
しかし神様は闇と関わることなく、光の世界で胡座をかくようなお方ではない。
神様は闇の中へと降りて来られて、闇のど真ん中で光り輝くお方。

◎神の“ことば”(御心・メッセージ)は人の姿をとり、人として名告り、私たちの許に来られた。
だから私たちは、闇の中にあっても神様の光に照らされて歩める。

「これは私たちの喜び」(4節)
=自分一人で握り占めていては勿体無い。

◎グノーシス主義「闇の世界を捨てて光の世界に入らなければ救われない」

ヨハネ「私たちは既に光の中を歩んでいる。
だからこれからも、光の中を歩み続けよう」

◎「光の中を歩む」=「罪を犯さない」ではない。
「生きること」は「罪を犯すこと」。
キリスト者になってもこの事実は否定できない。

◎ 「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。」(9節)
己の罪に気付き、罪を悲しみ、罪を離れたいと願う時、既に闇は晴れ、神様の光に包まれている。(光が無ければ闇にも気付けない)

◎「恐れるな、私はすでに世に勝っている。」(ヨハネによる福音書16章)
世に勝利したイエス様を信頼して歩む限り、私たちが再び闇を歩くことはない。


【次主日(12月3日)の朝礼拝】
◎聖 書:ヨハネの手紙一1章12〜20節
◎説教題:「光の中を歩む」
     〜神の言葉を基に、神と共に、人と共に〜
◎説教者:柏木 貴志牧師





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