日本キリスト改革派岡山教会 2024年01月14日礼拝説教(ヨハネの手紙一5章13〜17節)
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2024年1月14日朝の説教
◎聖 書:ヨハネの手紙一5章13〜17節
◎説教題:「真実の神、永遠の命」
〜確かなものに、どれだけ触れることができるか〜
◎説教者:柏木 貴志牧師
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【メモ】
◎13節…「神の子の名を信じているあなた方〜永遠の命を得ている」
→「(イエスの名による)罪の赦し」と「永遠の命」は表裏一体。
◎「永遠の命」=「神の命、神と一つなる命」
→イエスの名を信じたその瞬間から、今現在「神と一つの命」を生きている。(死後の話ではない)
◎グノーシス「お前たちは努力も知識も足りない。もっと身を粉にして神に仕えよ、そうしないと救われないぞ」
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ヨハネ「私たちは自分の力で神の子になったのではない、神様の方から子にしてくださったんだ。
救いは、神の命は、人間の知識や努力によらず、神様から頂くものなんだ」
◎ヨハネ「大胆に(自由に)神に祈ろう。私たちは神様とそういう間柄なのだから」
◎私たちの熱心さは「救いを得るため」ではない。
救われたからこそ、神様に自由に祈れる間柄だからこそ、熱心に祈り、愛し合う。
◎14節…「神の御心に適うこと」ってなんだろう?そんな祈りが自分に出来てるだろうか?
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3:22 「神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。」
「神の御心」=「神の掟」=「イエス・キリストの名を信じること(限りなく赦されていると信じ、赦してくださった方を仰ぐ)」と「互いに愛し合うこと(自分のためではなく、隣人も罪赦される様に、道を外れないように、愛の交わりが実現するように祈る)」
◎自分の苦難•重荷を神に打ち明け、委ねる。そして隣人の幸福をも神に委ねる。
◎「死に至らない罪を犯している兄弟を見たら、その人のために神に願いなさい。そうすれば、神はその人に命をお与えになります。」
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「神よ、あの人と共に生きてください、あの人にも永遠の命をお与えください」と祈るなら、その人自身がどんな人であれ(たとえその人が神を知らずとも)神はその人と一緒に生きてくださる。
誰かの祈りが先立ってあったからこそ、私も今隣人のために祈ることが出来るような神との関係が与えられている。
◎「死に至らない罪/死に至る罪」…罪の内容そのものが問題なのではない。
不義は全て罪であり、死に至る。
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にも関わらず、神の愛は全ての罪を赦す。神の愛のゆえに「死に至らない罪」も成立しうる。
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神の赦しについて聴きながら「そんなことあり得ない、神様にだって私を救えまい」と否定するなら、どんな軽微な罪でも「(死に至る)罪」として残る。
※「一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり、 神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験しながら、 その後に堕落した者の場合には、再び悔い改めに立ち帰らせることはできません。神の子を自分の手で改めて十字架につけ、侮辱する者だからです。」(ヘブライ6:4−6)
◎私たちの為すべきことは、「あの人は死に至る/あの人は救われる」と決め付けることではない。
「あの人自身がどうであれ、あなたがあの人と共に居てくださるように」と、神様に大胆に祈り続けること。
その祈りは必ず聴いてもらえる。聴いてもらえたからこそ、私たちは今ここに居る。
【次主日(1月21日)の朝礼拝】
◎聖 書:コリントの信徒への手紙一5章13〜21節
◎説教題:「復活の確かさ」
〜復活は本当にあります〜
◎説教者:佐々木 稔 教師
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