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子どもの礼拝『大漁の奇跡』(2023年10月8日)

先日私が担当した、日曜学校でのお話をシェアします。


1イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。
2イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。
3そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。
4話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。
5シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。
6そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。
7そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。
8これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。
9とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。
10シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」
11そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。

ルカによる福音書5章1節〜11節



【おはなし】
今日は、漁師のシモン、のちのペトロがイエス様の弟子になるまでのお話をします。
ヨルダン川で洗礼を受けたイエス様は、神様の子供、メシアとしての仕事を始めました。
ガリラヤ湖の周りの街を巡りながら、神様のお話をして、病気の人を治しておられました。
次第にその評判は口コミで広がり、ある日イエス様がゲネサレト湖、ガリラヤ湖の岸辺でお話をしようとすると、沢山の人が押し寄せてきました。

湖に落ちそうになったイエス様は、近くに居た漁師のシモンに頼んで船に乗せてもらい、お話を始めました。
お話を終えたイエス様は、シモンに
「湖の真ん中まで行って、漁をしなさい」と言いました。
でもこの時シモンは、前の日の晩にずっと漁をしていたのに一匹も取れず、クタクタに疲れていました。
しかも明るい時間は魚も起きているし舟も目立つので、夜中よりも魚は獲れません。

(いくら先生の頼みでも、今から漁なんて…)
シモンは気が乗りませんでした。

でも一方で、シモンは別のことも考えていました。
(この人の聖書のお話は、他の先生よりも分かりやすくて説得力がある。
それにこの人が病気に「この人から出ていけ!」と言うだけで、本当に病気が逃げてみんな元気になる。
この前ウチの家族も治してもらったんだ。
この人の言葉には、他の人には無い“何か”があるんだよな…)

そこでシモンは
「多分釣れないと思いますけど、先生が仰るならやってみましょう」
そう答えると、舟に網を乗せ、仲間に手伝いを頼み、船を数キロ進めて、湖の真ん中で網を投げました。
すると驚くことに、今までに見たことない程の、沢山の魚が掛かりました。
船が沈みそうになりながらも、他の船に手伝ってもらいながら、シモンは何とか魚を引き揚げました。

聖書にはイエス様がみんなで食事をする場面がよく出てくるので、この時もこんな事を言ったかもしれません。
「今夜はみんなでパーティをしよう!
この魚は塩焼きにするとおいしそうだし、こっちは鍋で食べたいな。
美味しいワインもあるといいね」

しかし、当のシモンはそれどころではありません。
彼はショックを受けていました。
(なんで今まで気付かなかったんだ!この人は神様だったんだ!
だから聖書のことをよく知ってるし、病気の人も治せるんだ!
なのに俺は、この人の言うことを信じていなかった!
そういえば聖書に
「罪深い人間が神様を見たら死んでしまう」と書いてあった!
このままだと俺も仲間も死んでしまう!)
シモンは怖くなり、イエス様の顔を見ることも出来なくなりました。

そんなシモンにイエス様は語りかけました。
「大丈夫、君は死なない。
君はこれから、人間を捕る漁師になる。
沢山の人を神様の許へ連れていく仕事をするんだ。」

シモンは考えました。
(人間を捕る漁師だって?それはイエス様がやってることじゃないか!
本当に俺に出来るのか?それにこれからは、どうやってお金を稼ぐんだ?
…いやいや、何を迷うことがある!
イエス様が『なる』と仰ったんだから、俺は人間を捕る漁師になるんだ!)
こうして漁師のシモン、のちのペトロは、船を捨ててイエス様の弟子になったのでした。

今日のお話はここまでです。
僕はこの聖書のお話を読みながら、学んだことがあります。
今日の箇所でイエス様がシモンに対して
「お話をするから船を貸して」と頼んだり、
「漁をしなさい」と言って沢山の魚を捕まえさせたり、
「私がやってる仕事を、あなたもするんだよ」と仰ったように、
神様は私たちに「あれをやって、これをやって」と呼び掛けることがあります。

それは、私たちはただ神様の言葉を聴くだけではなく、
シモンがそうしたように、聴いた通りに自分でやってみることで、
「神様の言葉は間違いじゃなかった。神様の言葉は正しく、力があるんだ」
と信じることが出来るからです。
ですから神様は、私たちが神様のことを信じられるように、
「私の言う通りにやってごらん」と、呼び掛けてくださいます。

とは言え、神様が私たちに「やってごらん」と仰ることの中には、
「あなたの敵を愛しなさい」とか、
「自分を捨てて私に従いなさい」とか、
「いつも喜んでいなさい」とか、
とても難しいことも含まれています。
それに対して私たちは、いつでも素直に従えるでしょうか。
「面倒くさい、やっても無駄だ」
と言いたくなることもあると思いますし、あるいは
「自分には無理だ、失敗するかもしれない」
と言いたくなることもあると思います。

でも神様にとって大事なこと、神様が願っていることは、僕たちが失敗せずに上手くやることよりも、とにかくやってみることで
「神様を信じて良かった、神様の言う通りだった」
と、気が付くことです。
ですから神様は、僕たちが文句を言ったり不安になっても、それで怒ったり見捨てたりはしません。
むしろ何回でも、
「大丈夫、少しずつでいいから、やってごらん」
と言ってくださいます。
ですから僕はこれからも神様の言葉を学んで、神様が「やってごらん」と言っていることにどんどん挑戦していきたいと思いました。
みんなも一緒に挑戦してくれると嬉しいです。



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