イエスの覚悟

私達は「何かを成し遂げ、評価される」そんな世界に生きている。

赤ちゃんの頃は「生まれてきてくれてありがとう」と言われていたのに、いつの間にか、それを言われなくなってしまう。

あなたのいいところは何だろうか。

神様は誰をも神ご自身のように作られた。
イエスは苦難の道だとわかった上で、エルサレムに向かって足を進めていった。

私達は神の愛をどう考えているだろうか。あなたは生まれたままの、そのままでいいよ、という、そんな言葉を待っているだろうか。

神の愛が私達を変えていく。その神様の愛は、私達をそのままにすることなく、神の生き方について考える、一歩踏み出す勇気を与えてくれる。

9:51さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、 9:52ご自分の前に使いを出された。彼らは行って、サマリヤ人の町にはいり、イエスのために準備した。 9:53しかし、イエスは御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので、サマリヤ人はイエスを受け入れなかった。 9:54弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」 9:55しかし、イエスは振り向いて、彼らを戒められた。 9:56そして一行は別の村に行った。

ルカの福音書 新改訳

サマリヤの人たちはユダヤの人からみると、信仰を失った人々であるという見方をされていた。

そしてイエスの一行は、サマリヤ人の町に入ることが出来なかった。
憤る弟子とは対象に、イエスは彼らとは違う態度を取っていた。

9:57さて、彼らが道を進んで行くと、ある人がイエスに言った。「私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます。」 9:58すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」 9:59イエスは別の人に、こう言われた。「わたしについて来なさい。」しかしその人は言った。「まず行って、私の父を葬ることを許してください。」 9:60すると彼に言われた。「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」 9:61別の人はこう言った。「主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。」 9:62するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」

ルカの福音書 新改訳

衝撃的なイエスの回答。これが弟子のあるべき姿である、とイエスは語る。
家族の葬儀に参加することも、別れを告げることも、許されない。

この教えをただルールとして守ることを強調したら、まるでカルトのような内容。
しかしイエスはこの覚悟で十字架に向かっていく。

重たいと感じたとしたら、それはイエスの十字架に向かう覚悟であるということを受け止めたい。

私達は十字架にかかって死んだというイエスのストーリーを何度も聞いている。
しかし、その覚悟の大きさについて考えたことがあるだろうか。

イエスは、この私についてきなさい、と言葉をかける。
イエスへの関心から私達を逸らそうとすることはたくさんある。

従い続けることができないのが私達の姿。
それでも、従い続けていきたい。


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