癒やしとは、傷ついていたことを、もう一度見つめること。
気まずいと感じることもある。
しかしその時に、見捨てられないのだという保証があることを思い起こすことで、もう一度立ち返ることができる。
本日は、クリスマスのストーリーからこの癒やしについて紹介していく。
神の前に正しい人であった二人。
その中においても気まずさを抱えていた。
年老いても不妊で子供が居ない二人。
ザカリヤは特別な働きのために神殿で奉仕することになる。
そして、御使いから語られる。
長年子どもがほしいと考えていたザカリヤ。
神に仕えてきた彼でも、御使いの言葉を聞いてすぐに信じることは出来なかった。
罪による気まずさ。
すぐに信じることが出来ない私達の現実。
しかし、神は私達を見捨てることはなかった。
ザカリヤは、神の御業が実現していくことを、自分の体験を通して知ることになる。
神が約束したことは、責任を持って導いていくということ。
そして無事に赤ちゃんが誕生した。
周りの人にとっても大きな喜びとなった。
なお神とともに一生懸命生きようとする姿を通して、神の恵みが周りの人たちにも伝わっていくこととなった。
当時は父親の名前をつけるのが一般的であった。
しかし神からの命令であるために、ヨハネと名付けた。
ちょっとした気まずさ。周りはこの名前にすべきと考えているところ。
しかしそれに流されるのではなく。御使いの言葉による名前を伝える。
最終的に父親に聞いたが、その父親もヨハネと答えた。
神への恨みが募ってもおかしくない状況であったが、彼は神を褒め称える事を選択した。
顧みるとは、訪れることである。
苦しみの中においても賛美をしたザカリヤ。
苦しみを通して、その先に神を賛美する生き方がある。
神を待ち望む時期にふさわしいこと。
私達が期待するタイミングで来ないことが多い。
神の約束は実現しないことが多い。
それでも、今日も心を近づけていきたい。
すぐに信じることが出来ないとしても、ザカリヤは神に従った。
クリスマスに神のことを伝えなければ、と力むことがあるかもしれない。
しかしすでに神は働いている。
神の働きを見ることができるならば、神の恵みは自然と伝わっていく。