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虎穴に入らずんば虎子を得ず

 前回の『スモールステップの罠』を読んで、スモールステップが元々大きな目標を設定するのにあまり向かないと言っている通りなのだろうなぁと思います。
 
 結局のところ『スモールステップ』という本来の用語とその使い方を、あんまりよく知らない人が自分の都合の良い一般化をし、それを聞かされて、やらされたりやってみようと思ったりした人が振り回されることになってしまう悲劇ですよね…。
 
 半端に学んだことを半端な解釈で勝手に行うことの怖さを実感します。生兵法は怪我のもと。
 
 とはいえ、もうそういうスモールステップがあちこちに、出回っているのだとすれば、私が思うところは、一つ。自分ひとりで行わないことが良いのではないかということです。
 
 スモールステップの大事なところというと、うまくいかなかった場合に、何がうまくいっていないか検証して、もう一度、ステップを作り直す部分です。
 一人だと、失敗した時に、その検証がうまくできない可能性があります。英単語の小テストで満点を取ることが、もし出来なかったのだとしたらそれは、スモールステップとしては、ちょっと大きすぎたということになります。もしくは、満点を取り続けても先に進まないとすれば、次の設定を立てるべき時か、もしくはステップの作り方が元々間違っていた可能性があるでしょう。
 
 本来のスモールステップとは、目標達成のためにものすごく緻密かつ、オーダーメイドに作られるものです。なので、一人で行うのではなく、サポートしてくれる人は大事です。出来れば、スモールステップをよく理解している専門家の方と一緒に、進めていくのが良いかもしれません。
 
 と思いつつ、でも世の中には「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と言葉があるように、危険を冒さないと欲しいものが手に入らない場面というのもあります。そこでは、思い切って飛び込んでみることも必要でしょう。

 ただ、虎穴に入るためのスモールステップを作れば良いではないかということもできるのですが…。この場合、そのスモールステップは、虎穴に入るために絶対完全に安全であるという状況を作り出すぐらいしっかりした計画なのか? それとも、そうは言っても絶対は、ないという危険(不安と言っても良いです)がありながらも、虎穴に入るのか? その違いかなと思うのです。
 
 現実世界において、虎穴に入るための絶対安全というのは、なかなかそう簡単に実現できるものではありません。そうなると、少々の不安や危険があっても、進むことが必要になるのでしょう。
 
 ただ、私はどちらかというと、それで失敗した後のリスクを回避したい人間なので、失敗してただ、痛いだけなのか。それとも生命を脅かすものなのか? という部分を考えます。失敗した後のフォローが必要なものにはそれなりの準備をしますし、フォローが出来なくても何とかなりそうなものの場合、そのまま突き進むかもしれません。
 
 ここで難しいのは、その失敗した後の「痛み」というのが、人によって違って、耐えられる強さも違うということでしょう。
 
 失敗に強くなるように補強するのか? 失敗しないようにするのか? 失敗しても助けてもらえる環境を作るのか? 
 
 これらのどれが自分にとって合うのかというのを、考えたり、調整したり、オーダーメイドに考えていかないといけないなと思います。
 
 結局のところ、大事なのは、失敗を恐れない精神ではなく、失敗しても温かく見守ってもらえる環境だったり、傷を負っても帰れる場所であったり、応援し助けてくれる人の有無ではないでしょうか? それは例えば常に現実にあるものではなく、過去の記憶、心の中にある拠り所であったとしてもです。そういった守られ大事にされた記憶や経験が、次に進む勇気を与えてくれるのだと思うのです。
 
                    (K.N)

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