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好きと嫌いと苦手と得意

 苦手な人センサー!ええ、私のそれは大変よく働きます。第一印象であ、この人なんか変だ、と思う人は大抵苦手か、それとは正反対に、長く付き合えば付き合うほどまるでスルメのようにその人のいいところや味わい深いところが見つかってくる人です。

苦手な人、と聞いて「それはもう星の数ほどいるぞ!」と何故かニヤニヤしてしまった私なんですが、苦手でも嫌いではなかったりするのでめんどくさい。

そう、嫌いと苦手は違うのですよね、よく考えてみると。

好き/嫌いは「気持ち」或いは「感情」です。対して得意/苦手は「扱いの程度」或いは「行動」です。似ているようで全然違っていませんか。

例えば、料理は好きだけど苦手、と言う人は珍しくないでしょう。本を読むことは嫌い、でも勉強は得意、とか。それらの逆ももちろんあるでしょうし。

以前とあるランチブッフェで、ものすごく美しいオムレツを大変手早く鮮やかに作れる料理人さんを見かけたことがあります。その人の、フライパンを繰る手捌きや卵液を流し込む手つきなどの一連の作業がそれはもう美しくて、彼の手元からどんどんと、まるで魔法のように、見目麗しいオムレツがものすごい速さで出来上がっていくのに見惚れてしまったほどでした。味や焼き加減ももちろん完璧。あれから旅行などでブッフェを利用することが多くありましたが、彼ほどの手捌きは見たことがありません。

しかしそんな鮮やかな手捌きを会得している彼の表情はと言うと、ものすごくやる気がないのが丸わかりで、注文のために話しかけるのが躊躇われるほどでした。それで強烈に印象に残っているのです。オムレツをお願いすると、彼はそのやる気のない表情のまま、大変鮮やかな手つきでオムレツを作ってくれました。お礼を言ってもちょっと頷くだけで、全身から「オムレツ係降りたい」というオーラが漂っているのです。でも私が受け取った焼きたてのオムレツは見た目も焼き加減も味も大変よく、とても美味しくいただいたのを覚えています。

これぞ、得意/苦手と好き/嫌いが違う次元にあることの証拠だと思うのです。

彼は多分、オムレツ作りは得意だけれども、少なくともあの場あの時はそれが嫌いだったんじゃないでしょうか。嫌いだけど得意だから、手捌きはとてもよくて、出てくる結果もとても良い。

こんなふうに「嫌い」と「苦手」とを引き離し、「好き」と「得意」を引き離してみると、わかりやすくなることは結構あるのではないでしょうか。
もちろん、人に対しても同様です。

「あー、この人好き」とか「憧れる〜」と思っても、実際に付き合いやすいかどうかはまた別。逆にこの人付き合いにくいなーと思っても、好きという気持ちだけで何とかなってしまうとか。どちらが幸せかはわかりませんが、実はよくあることじゃないでしょうか。気持ちの持ちようで行動が変わるのか、行動の結果その気持ちが芽生えるのか、どっちなのかもよくわかりませんが、私はとりあえず前者を採用しています。

なので私は、人について得意/苦手ははっきりしていますが好き/嫌いは一旦保留にしがちです。

二人は多分知っているでしょうけれど、若い頃の私は一度でもこの人嫌いと思ったらとことん嫌いで付き合うのも無理、うまくやるなんてとんでもない、何なら飛び蹴りかまして近づけたくないくらいの勢いでした。まさに犬。

しかし歳をとって丸くなったのかドライになったのか、こちらの目的に合わせて、内心は「うげげえ」と思いつつ面従腹背まではできるようになりました(えっへん)。

自分にとって得意なことや得意な相手をいつも好きでいられるとは限りません。気持ちが続かなくなった時どうするか、それは迷いどころだと思います。
 
ところで私にとっての苦手なタイプは、何といっても善意の人。それも強気な、決めつけが強いタイプの。良かれと思って、天真爛漫に無邪気に自分の思いや思い込みをまるで事実であるかのように口の端に載せてしまうタイプの人が苦手です。

決めつけよくない。言葉は容易く呪いになるんだぞ。

と、脱線しそうなのでこの辺の話は、またの機会に。

         (C.N)

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