幸せの定義と学びの意義

こんにちは、かやちゃんです!
今日は出来事の備忘録というより自分の思考整理をするために記事を書こうと思うのでいつもに増して駄文が並ぶかと思います💦でも自分にとっては大事なことかなと思うのでお付き合いいただける方は是非よろしくお願いします。


幸せをどう考えるか

導入

半年ほど前でしょうか、私の知り合いの方が幸せについてこんな風に話をしていました。
「自分にとって幸せの定義はいろんな価値観を持っていることです。」
この言葉に私はとても強い共感を覚えました。多様な価値観を持つことが自身の幸せに繋がっているのだと、これまで言語化していなかった自分の幸せが少しクリアになったような感覚があったのを覚えています。

ではなぜ、多様な価値観を持っていることが幸せに繋がるのか。

ここから私見ですが、多様な価値観を持てるということは一つのことに固執することが減るということだと思います。例えば「幸せ」について考えるとき、お金を多く持っていれば幸せだ、と考える人もいれば、友人との関係がうまくいっているときが幸せだ、と考える人もいると思います。それはその人の価値観に基づいた幸せの定義ですが、多様な価値観を持っていればより多くの幸せの形に気づけるのでは、と思うのです。お金という価値に固執すればそれ以外の全てを持っていても幸せと感じることはできません。
しかし、例えば、お金があるのも幸せの一つ、友人に恵まれているのも幸せの一つ、仕事にやりがいを感じているのも幸せの一つ、気ままに散歩する時間を取れるのも幸せの一つ、というように大きなことから小さな事柄までを幸せの形と捉えることができたら、より多くの幸せを感じることができるのではないでしょうか。

私にとっての幸せ

前述した通り、「多様な価値観を持つこと」が私にとっての幸せにとても近い言葉だと考えています。より正確に言えば「多様な価値観を知る・体験すること」かもしれません。色んな人の考え方を知り、たくさんの文化や風習を体験し、自分が共感できたものは自分の中に取り込み、共感できなかったとしても受け入れる器であること。私はきっと今までそういう風に「私」という人間を創り上げてきたのだと思います。
多様な価値観に触れるためには多くの人と出会い関係を持つことや、いろんなことに挑戦することが必要です。その過程で得られるものはとても大きく、それが自身の幸せに繋がっているとも言えます。同じような考え方をする人同士だけで集まるのは、それはそれで楽しく、かつ楽だと思います。一方で全く違う考え方、バックグラウンドを持った人たちが集まる場というのは人によっては苦痛を感じるかもしれませんし、トラブルも起こるかもしれません。それでもお互いを尊重し受け入れる心を持った人同士ならばより発展的な考えや新しい発想が生まれるはずです。そうやって人と関わると自分の考えがどんどんアップデートされていき、結果生きやすいと感じることが増えるのではと私は考えています。

学びの意義

メキシコで何を学ぶのか

メキシコに来る前も後も多くの人に聞かれる質問があります。
「何でメキシコに来たんですか?」「メキシコで何を学ぶんですか?」

建前的な、模範的な答えはいくらでも考えられました。
高校生の時からスペイン語を勉強していて、でも話す機会が多くないから中々上達しない、現地の人とちゃんと話せるくらいのレベルになりたい。メキシコの文化に興味を持ったなどなど。
けどそれで10ヶ月も大学を休学して、奨学金をもらながら留学する理由になるのだろうかと、自分でその理由に納得しているか、と言われると難しいところです。

正直なところ、チャンスがあったから。というのが今のところ一番しっくりくる理由です(笑)ただ、そのチャンスがあったからに繋がる部分に、幸せになるためというのが不随してくるのかもしれないと最近思うのです。
必ずしも絶対的な理由を最初から持っていなければいけないわけではないのだと思います。けど留学が終わったときに、何かしら答えなり、達成したと言えるものがあったらいいなと思っています。

だから現状迷いの森の真っ只中です。私は何を持って帰れるのだろうかと。
メキシコに来てから既に2ヶ月が経ちました。時間が過ぎるのがとても速く感じます。時間は平等で不平等です。でも日々の生活の中で、まだ言語化できていないものの「学び」、何かしら得ているものは絶対にあります。多少なりとも自分の中に起こっている変化を感じています。その変化を突き詰めていくことが今後必要とされていくのだと思います。

大学での学び

私は慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの総合政策学部に所属をしています。
そこで何を学んでいるのか、と聞かれるのも実は苦手です。何故なら私もよくわからないからです。広くちょっと深くいろんなことに手を出しています。それもきっと色んなことを知り、体験し、自分の中の価値を広げていきたいという根源があるのだと最近気づきました。

ゼミ(研究会)では、教育から始まるトランスフォーメーションということで、教育関連の研究会に所属しています。プロジェクト型の研究会で私は対高校生に自己探究や地域探究、個人研究では小中高生に表現教育などを提供しています。
子どもたちに話す機会を頂くたびに、たくさんのことに挑戦してほしい、自分の世界を広げてほしいという話をします。それは私のまだ短い人生経験の中でも一番大切だと私が感じていることだからです。それもきっと幸せになるために少なからず役に立つと思っているからなのでしょう。

大学の役割

少し話がずれますが、大学とは何でしょう。何のためにあるのでしょうか。
最近では大学2年生から就活のためのインターンを始める人が増えています。3年になると就活に本腰を入れる人も増えてきました。
それが悪いことだとは思いませんが、私は納得できません。大学の意味が薄れる気がしてしまうからです。私が勝手に思っていることですが、大学は本当に社会に出る前の最後の時間を過ごすことのできる場所であり、時間です。もちろん専門的な知識を身に付け、職業訓練的な意味合いもあります。看護学校や医学部はまさにそういう意味合いが強い場だと思います。
私はこの大学4年間の時間を、自分とゆっくりじっくり向き合える時間として使いたいです。といってもすでに4年なわけですが(;´・ω・)

私はコロナ禍の大学入学世代です。だから正直大学に通ったのは2年間くらいなものです。それも影響しているのかもしれませんが、自分が何をしたくてどんな人生を送りたいのかをもっと真剣に考えたいと3年の秋くらいから思うようになりました。そんな中就活で忙しくなる同期たちを見て、私はまだ就活したくない、してもそこに意味を見出せない…と感じてしまいました。大学ではそれなりに精力的に活動してきたし、大学外で他の人とは違う経験も多く積んできました。履歴書的にもおそらく問題なく、ガクチカと言われるものも強い方だと思います。しっかり就活に取り組めば希望したところに内定を頂ける確率は高いでしょう。
けどその希望するところが分からなくなりました。
自分が何を大切にしていきたいのか、どんな風な人生を送りたいのかをもう少しクリアにすべきなのかな、そのためにはもっと自分と向き合わないと。そう思いました。向き合う時間が欲しかったのもメキシコに来た理由なのかもしれません。

生き方を考える

「変化の時代だ」とよく言われます。
これまでの常識や暗黙のルール、生活様式が変わり始め、価値観は多様化し社会で求められる力も変わってきました。自分の研究分野でいえば、150年間変化の乏しかった教育の世界でさえ大きな変化の波が訪れています。それはいい変化だけではないのかもしれません。これまで守られてきたものが失われていくことを指すのかもしれません。

しかしこれからを生きる私たちはこの変化に否応なく対応していかなければなりません。波にのまれるのではなく、波に乗り、時に抗いながら自分自身で選択し、進んでいかなければなりません。そのためには何が必要なのでしょうか。自分で選択していけるだけの力、選択肢を増やせる力を持ちたい、そういう生き方をしていきたいと私は思うのです。
それが結局どういうことなのか私にはまだわかっていません。でもそれは考え続けなければいけないことだと思います。

10ヶ月。このメキシコでの生活が終わるときに、だから私はメキシコに来たんだと言えるように、自分で納得できる生き方ができるように日々の生活を送って生きたいです。

いつも以上に何書いてるんだか分からなくなりました(笑)
では、また。

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