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【短編小説】嫌いにさせないで ~後編~

「これはひどいな」
お手製マリメッコのバックを手に取って夫が言った。
よく見るとバッグの内側にはボンドが白く固まったまま残っている箇所がいくつもあった。
「本物買ったらよかったんじゃないの?」
お風呂上りの夫が髪を拭きながら言った。
「付き合いだったの!」
「なら詐欺にでも遭ったと思って諦めるしかないな。現物見ないで5,000円の買い物は、パート代を考えると冒険だったね」
髪を拭き終えたバスタオルをバサッと洗濯機に放りこみ、グラスにウイスキーを注ぎながら、私を憐れむように夫は言った。

それから私は由紀さんを避けた。
運よく出番が合わないこともあって、しばらくは平穏な毎日が続いていた。
そんなある日、彼女はやってきた。

「オークションで1万円で落としたんだけどさ、コレ。あんたに丁度いいんじゃないかと思って。あげるよ」
まさかの親切心?このごに及んでまだ私はそんな間抜けなことを考えた。
冗談とも本気ともつかない口調で言ってきた由紀さん。もし受け取ったら何らかの形で1万円請求されるのだろう。それに、これに1万円?と思うようなしろうとが継ぎ接ぎしているのが目に浮かぶパッチワークのワンピース。
またしてもナースサンダル事件が頭をよぎる。
ただより高いものはなし!正気を取り戻した私はもちろんきっぱり断った。この人は私をカモにしようとしているのかも知れない。とキリっとした。
へんてこなワンピースを持った由紀さんは、私のデスク横に立ち、宙に浮いたような黒い目で上から目線で私を見おろしていた。

その後も由紀さんから頻繁にLINEがきた。
文字のLINEだけじゃない。夜遅くに突然、LINE電話してくることも何度かあった。

ある晩、とうとう私は由紀さんのLINEをブロックした。
こういうのは悲しい。人を嫌いになる自分がイヤになる。自己嫌悪というやつだ。でも仕方がない。もうこれで由紀さんからLINEも電話もかかってこない。夜の突然の電話に生活を乱されることもなくなるのだ。

恐ろしいことが起きたのは、それから数日後だった。
私が公休日のある日のお昼、雅代さんから電話があった。
由紀さんが私とLINEがつながらないけどみんなそうなの?と職場で騒いでいるらしいのだ。
「こわいよねぇ~。今昼休憩だから、またお茶でもしながらゆっくり話そう」と言って雅代さんは電話を切った。

その夜、八時ごろ、スマホの着信音が鳴った。
LINEでなく通常の着信で、見たことのない番号だった。
出てマズった!と思った。なんと由紀さんだったのだ。
LINEがダメだから普通に電話してきたわけだが、その執念がとても恐ろしかった。
彼女の行動は、純粋に私と友達でいたいから、では絶対になく、一方的に連絡がつかないことに腹を立てているのがビシビシ伝わってきた。その証拠にすごい剣幕でLINEが繋がらないと捲し立てている。

「そっちからかけてみて」と言われて一旦電話を切られた。
なにさま!とか言ってる場合じゃない。
焦って指先が震えた。
ブロック解除ってどうやるんだっけ。
緊張してコチコチに固まった指先で由紀さんをブロック解除してすぐに電話をした。
「こっちからは普通にかけれるよ」
私は飄々と嘘をついた。
もう由紀さんに対して嘘をつくことに罪悪感など微塵も感じなくなっていた。やっかい払いしたくて仕方がない、の一心で必死だった。
「LINEおくってよ」相変わらずの命令口調だ。
「普通に送れるみたい」とスタンプを送った私。
「マジかー、ちょっとあたしのほういじってみるから待ってて」と言って由紀さんは電話を切った。

今だ!
私は急いだ。
何分あるかわからないその隙に、由紀さんのLINEをもう一度ブロックし、初めて見た携帯番号もブロックした。
どうやら由紀さんは私に嫌われているとは露ほども思ってもいないらしい。

後味がとても悪かった。
夫はグラス片手にくつろいでいた。
「あんな怖い人もいるんだよね」
夫に言った。
「いろいろだよな」
夫はウイスキーの色を楽しむようにグラスを覗き込みながら言った。
「由紀さん、ふつーじゃないよね」
「そう?」
「え?」
「その人のフツーがそうなだけだろ」
「そんなの、被害に遭ってないから言えるんだよ」
「社会的マイノリティーだな」
「なにそれ」
「まあ、みうは悪くない。自分を守っただけだし」
「んんん・・・やっぱり次に会ったら謝ろうかな・・・でもな~もうやだよな~」
「それって罪悪感?同情?そーゆーのいらないよ、余計なお世話だから、相手からすれば」
「そうなの?」
「バッグと一緒に菓子までもらって」夫が私を手招きしながら笑った。
「うん、その駄菓子ね、いま純が食べてる」
「これ食べきったら忘れよう、みう、がんばったね」
私はソファーを占領している夫の脚の上にドカッと尻を落とした。
夫は小さく呻き声をあげた。
スウェット姿の甘党の夫は、由紀さんが知ってか知らずかお手製マリメッコのバッグに入っていた小さな箱の駄菓子のチョコレートを片手で食べながら、もう片方の腕で私を抱き寄せた。

END

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