謙虚であっても卑屈にはなりたくない
先日、Xでこんなことをぼやいた。
いや、卑屈だね????
現職場ではチャレンジングな業務を任せてもらうことが多く、なんで私はこんなに出来ないの?と自己効力感をゴリゴリ削られながら日々業務と向き合っている。
この状況に対して「出来るようになるためにこんな努力をしよう」など前向きに捉えることができれば良いのだろうが、疲労で視野が狭くなっていると同僚の秀でたところばかり目につき、自分には何もないと余計に卑屈になってくる。
卑屈は心の中で体操座りをして周りを傍観しているだけで何の解決にもならない。しかも卑屈な人って他人をイライラさせて周りにとってもよくない。
卑屈になってしまう人の考え方のクセってなんだろうと考えてみることにした。
卑屈と謙虚の違いって何だ
謙虚さと卑屈は紙一重とよく言われる。謙虚は美徳とされ、卑屈はネガティブなイメージとして持たれやすい。この違いは何か。
とりあえずChatGPTに聞く
なるほど。自己評価の適切さが卑屈と謙虚の違いを明確にするのね。
卑屈な言葉って相手が「持っている側の人間」だった場合は罪悪感を与えるし、「持っていない側の人間」だった場合は傲慢に聞こえる。
相手がどう思うか・客観的な事実がどうなのかは関係なく、勝手に自分はダメだと突っ走る。
謙虚と卑屈の違いのキーになるのは相手を尊重する気持ちなのだろうね。
適切な自己評価と言われても
もうちょっと踏み込んで聞いてみる。
「自分の強みや弱みを認識する」
「客観的に自分を見つめる」
頭では理解できるけどいざ自分が実践できてるか?と言われると難しい。
(というかできてたらそもそも卑屈さに悩まない。)
特にネックになるのは自分の強みの認識で、「この程度のことを強みと言うなんておこがましいのでは」や「上には上がいるし」なんて考えてしまいがちになる。ちなみにこの時点で客観的視点は皆無である。
とりあえず卑下はやめよう
適切な自己評価や強み弱みの認識についての解は私の中でまだ出ていないけれど、
とりあえずわざわざ自分を貶めるような言い方や他人より自分を低く置きたがるような考え方はやめようと思いました。
「謙遜」「卑下」はどちらも相手に対しての謙虚さは含んでいるけれど、
「謙遜」は相手に敬意を払う、相手を立てるためのものであり、「卑下」はただ自分を相手より下に置くだけの自己否定でしかない。
「自分の弱みを際立たせるためだけの負け試合」に引っ張り出された相手は気持ちの良いものではないよね。
○○さんのこんなところが素敵、それに比べて自分は…ではなく、
○○さんのこんなところが素敵、私は私のこんなところは嫌いじゃない、くらいの心持ちでやっていきたいなと思うなどしました。
それでは👋
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