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「むき出し」 EXIT兼近大樹さんと又吉直樹さんのこと。

EXITという漫才コンビを、知らないわけではなかった。
私の好きな又吉直樹さんに憧れて芸人さんになった人がそのコンビのどちらかで、又吉さんとトークライブに出たようだという情報もなんとなくどこかで見ていたけど、又吉さんに憧れて芸人になった若手芸人さんはきっと他にもたくさんいるだろう、もうそんな世代が出てきているのか、という、それくらいにしか思っていなかった。

"情報は漏らさず確認する、ライブは必ず観に行く"
そういった熱心なファンの方には申し訳ない、ゆるゆると、何度かトークライブには行ったけれどそれ以外は又吉さんの出演している中で好きな番組だけチェックしたり、テレビで見かけるとチャンネルを合わせる手を止めてしばしヘラヘラと楽しんで見たり、どこかに寄稿していると後で知って探して買い求めたり、私は又吉さんのそういうファンのひとりだ。

コロナウィルスが蔓延し、ステイホームの空気にもすっかり慣れるしかなくなっていた昨年、又吉さんの「渦」というYouTubeチャンネルをなんとなく見始めた。
最初はゆるっと面白そうな企画のものだけ観ていたのだが、気がつくと更新が待ちきれないほど夢中になっていた。なんせそもそもファンではあるので、おもろい又吉さんがおもろい話をしている動画がおもろくないわけがない。

特に「インスタントフィクション」という企画が興味深い。有名無名に関わらず誰かから寄せられた短編小説のような創作文「インスタントフィクション」というジャンルの文章を又吉さんが読み解いていくというもの。
その企画で、ある時印象的な短編が取り上げられていた。
動画のタイトルとサムネイルで視聴者には既に作者はバレていたけれど、なんとなく又吉さん本人の文章かなと思わせる雰囲気のある短い作品は又吉ファンが書いたものだな、という印象が濃くて、サムネイルのピンク頭の若者が書いたものだとは、にわかには信じがたい。

しかし鋭く攻撃的なわりには対象を細かくよく観察しており、締めくくりの一文は不器用ながら優しくて、あぁかっこいいな、と好感を持った。
パンクなロックを感じた。

又吉さんは、明かされていなかったその作者について「キレはあるけど相手を倒し切らない優しい人なんじゃないか。けど本人の気持ち次第では強くも言える、両面を持った人かな」と分析していて、なるほどそうなのか、と思ったのだが、その作者、サムネイルでチャラいピースサイン(のちに10代のモデルさんに教えてもらったピースの仕方だったと知る)をしている端正な顔立ちのピンク頭の青年こそがEXITの兼近大樹さんだったのだ。

EXITのカネチ!顔と名が一致した。
そうか、又吉さんに憧れて芸人になったのは、このチャラ漫才の「かっこいいほう担当」なのか。
漫才は見たことがあったし、おもしろかった覚えもある。しかし今そんなに大人気になっているとは正直知らなかった。

又吉さんのYouTubeを見るためにアプリを開くとおススメみたいにカラフルなテロップの入った画面が流れてくることがあったピンク頭と髭面お兄さんの「第7世代漫才コンビ」EXIT。
時々Abemaのニュース番組に出ているのも見かけたなぁ。
改めて調べると冠番組もあったし、YouTubeチャンネルは登録者が何十万という脅威の数字だった。

「兼近くんは最近本も出しましたよね」という動画の中の又吉さんとサルゴリラ児玉さんの会話に驚き、観終えてすぐにネット書店で「むき出し」を購入するとともに「EXIT 兼近」と検索を始めた。

当然ながらこの検索によって私は2019年に兼近さんが悪名高き(?)文春砲に遭ったことを初めて知ることになる。
悲しくなったり、謎の罪悪感に苛まれやすいので私は意識的にワイドショーを見ない。ネットの芸能トピックスも、よほど興味のある人物や事柄が関わっていなければほとんど読まないので何も知らなかった。
(今思えば、兼近さんをほぼ初見状態で「むき出し」を新鮮に「告白ではなく小説」として読めたことは私にとってはとても幸運だった。)

又吉さんに憧れて芸人になって、
小説を書いた人。

それまでほとんど気に留めていなかったその存在について思いを馳せた。

どんな人なのか。

どうやら過去にあれやこれやあった「扱いづらい子」が又吉さんの本に出会ったことから人生を一変させ、小説を書いて、それがとうとう形になってるということらしい。
すごい。尊い。泣きそう。

触るとサラサラと音がする紙質の色彩豊かな装丁と帯に書かれた本文からの引用
「人を羨むな、今を恨むな、自分にあるモノを数えろ」
にすでにノックアウトされつつ(なんてかっこいいんだ!ブルーハーツの曲を初めて聴いた時みたいな気持ち!)、読み進めば進むほど、私はあっという間にこの小説の、この小説を書いた兼近さんの、虜になってしまった。

文章を稚拙と表現してしまえばそれまでなのかもしれないけれど、その稚拙さは泥混じりの水たまりにきらっと光る何かのように眩しく、冒頭の小さな子供だった時代そのままにアンバランスに成長していく石山の純粋すぎる幼さと相まっていじらしい。
退屈な留置所で辟易していた主人公の石山が、恋する女性から差し入れられた又吉さんの本を読んでのめり込んでいく様は、空虚な世界の裏側から開眼した何か神々しいものが生まれ出てくるのを目撃したように感動的だ。
それは、その空虚な裏側の世界に、そこでしか生きられず救いの求め方も知らぬ愛しい人間たちが確かにいるのだという現実を知る者にしか身につけることのできない煌めきを纏っているがゆえの神々しさだった。

そして自分が壊してしまった取り返しのつかないものから決して目を逸らさない固い覚悟もまたそこにはあった。

先日、兼近さんの短いエッセイが掲載された文藝春秋のバックナンバーを図書館で読んだ。
「本を書くために芸人になった」と題されたそこには"本との出会いで人生そのものに影響を受けた自分のように、自分の本で誰かに同じような影響を及ぼせたら嬉しい"というようなことが、丁寧な日本語で謙虚に書かれていた。
この美しい言葉を紡いだのが、たった10年前は「ほぼ石山だった兼近大樹」だなんて。

兼近さんは自身のYouTubeチャンネルで「なぜ自分の過去を暴露した週刊文春の出版社である文藝春秋で初の小説を刊行したのか」という質問にこう答えていた。

「確かに文春は自分の過去を暴露したけれど、そのおかげでいつかは話さなければならないと思っていたことを告白することができた。(※ちなみに兼近さんは自分の過去の事実について事務所や友人など迷惑をかけてはならない信頼できる周囲の人たちには芸人になった時から既にきちんと伝えてあり、そもそも意図的に隠していたわけではない)
何にでも良いところと悪いところがある。だから反論もさせてもらってちゃんとそれも載せてもらった。文春=悪、とは思いたくない。文藝春秋からはおもしろい本もたくさん出ているし、なにより自分が芸人になったきっかけになった又吉さんも火花を文藝春秋から出版されている。
いやなことを書かれたからと言って敵だと決めて闘ってしまったら単なる分断になる。
分断は望まないし、自分の本のテーマにもつながる。」

又吉さんの火花の締めくくりには「生きている限りバッドエンドはない」という一節がある。
まるでそれを証明するかのように兼近さんは今芸人さんとして生きている。
一歩間違えれば札幌の街の裏通りで誰かを殺め殺められていたかもしれない。そういう危うい世界から、生きている限りバッドエンドはないことを証明しに来てくれた兼近さん。

「むき出し」の帯のために又吉さんの寄稿した推薦文がこの本の全てを語っていた。

「優しい眼差しが
 純粋な言葉が
 誠実な覚悟が
 重要な小説を生んだ」

嘘のない人は信頼される。
又吉さんも、兼近さんも、信頼できる人だ。
信頼できる人は信頼できる人と繋がっていく。
信頼される人は愛される。
愛される人は大丈夫な人だ。

私はたぶん兼近さんのご両親と同じくらいの世代だと思う。
それなのにまだこんなふうに世界の見え方が変わることがあるのだということに驚いたし、息子とさほど世代の変わらない青年に、そういうことを気付かされたということが嬉しくてたまらないです。
ありがとう兼近さん。
痛ましい事件のニュースを耳にした時、今まで感じたことのない新しい視点が自分の中にあることに、ふと気がつきました。

運命の相方りんたろー。さんとの並々ならぬコンビ愛についての抑えきれないほどのEXITファン心は、胸に留めておきます。
色とりどりのファッションで飛び跳ねて応援する若いファンの子たちと一緒に熱狂することはできないけれど、大好きですEXIT。

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