ママぎゅんを脅していた幼少期を反省した4日間の話。

 7月の連休、ママぎゅんこと母親が私の家にやってきました。久しぶりにママぎゅんに会った感想は、「小っちゃい、、。」でした。後々分かったのですが、高3の春より3センチ身長が伸びていたのです、恐るべき成長力。前世は樹木。

 そんなこんなで、久しぶりに会うので、何を話すべきかと昨晩から緊張していたのですが、それは杞憂に終わり、大学の古典概論の授業がひじように面白いという話などをしました。(嗚呼、久しぶりに、「ひじように」を使ったなぁ。)

 ママぎゅんは、私の家に遊びに来ているわけなので、おもてなしをしようと、晩御飯に豚キムチ豆腐を振舞いました。単に、豚肉と洗ったキムチと豆腐を炒めただけのものですが、「美味しいね、包丁でお豆腐切れるようになったんだね。」と言ってくれました。でも、流石に味がしないのか、追いキムチをしていました。ふむー、残酷です。

 ママぎゅんが来るまでにやると決めていた課題はもちろん終わっていなかったので、それをこなしているとママぎゅんは、洗濯をし、どう考えても長期にわたり放置されていたことがうかがえる事故っている皿を洗い、お茶とお風呂を沸かし、トイレを磨き上げ、靴を下駄箱にしまってくれていました。2時間も経たないうちに、何不自由なく暮らせる実家がよみがえりました。実家、、、欲しい。今何でも手に入るなら、実家を輸送したいyo。

 そして、あっという間に日は経ち(この間に人生最大クラスのあの事件が発生します。お肉美味しかった^^)最終日になりました。親も親なら子も子、など言いますが、まさしく私とママぎゅんは共に、時間に果てしなくルーズなので、バタバタでお見送りの時間になりました。ママぎゅんの電車が出発した時、ひじように涙がぽろりんと出ました。なぜなら、受験の結果が出て約1週間後に事態を掴めぬままに、慌てて荷物を詰め込んで下宿が始まったからです。どうせまた近いし帰れる~と思っていた矢先の、コロナ騒動で、別れを告げることもできずでぴえんでした。引っ越し前日も当日も、下宿先近くのお寿司屋さんに行くことばかり考えていました。

 お見送りから自宅へ戻ると、その日は猛暑だったのでひじように喉が渇いていました。そういや、お茶沸かしてねぇや……と思って冷蔵庫を開けると良く色の出たお茶が入っていました。よく見ると、タッパーにかぼちゃの煮物と大豆煮が入っていました。前日使ったお皿が食器棚に戻っていました。部屋を見渡すと、干していたはずの洗濯物はクローゼットに戻っていました。時間にルーズだと思っていたママぎゅんは、本当はルーズなんかじゃなくて、誰かのため、あれもこれもとお世話を焼いちゃう人なんだろうなと思いました。

 かぼちゃの煮物を食べながら、ふと思い出したのは、小学生の頃のことでした。高校生になったころには、慢性的な体調不良がさらに酷くなり、学校周辺での不審者も結構多く学校も迎えについて何も言わなかったので、当たり前のように車通学でしたが、これでも小学生の頃は自力で帰ってくるように言われたものです。しかし、それがどうしても嫌だった私は、学校の公衆電話から母親に電話をし断られると、「これでもし私が事故に遭ったら、あの時迎えに行けば…と酷く後悔するだろね。」と必ず言ってから電話を切りました。電話上では断られていますが、その場で待っておくと必ず迎えは来ました。「一歩ぐらい動こうとはしなさいな」と言われつつも、ちゃんと迎えに来てくれました。こういった話は数えきれないほどあって、弱みに付け込んだ、もはや詐欺師だったなと、自分の行動の極悪さを改めて実感し、ひじように申し訳なくなりました。

 18年間、詐欺師として生きてきたので、今後はまともな人間になろうと思いました。でも、たった9年くらいしか生きていない人間が、「事故に遭ったら後悔する」と脅して、自分に都合よく事を動かしていたの、ちょっと賢いなと思ったりも。うーん、ずる賢い、、?いや脅迫だよな。反省。愚。

      

      レポートが溜まっているのにnoteを書くアホぎゅんからの投稿

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