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人に読んでもらう文章を書くのって、いい習慣だよなぁ

記事を引用してもらったことがきっかけで、自分の記事を久しぶりに読み返しました。

これ、きっとnoteあるあるですよね。
(スキの通知もらって改めて読む、とか)

ひつじとオオカミさん、ありがとうございます!

ちょっと話がそれるんですけど、なんというか・・・改めてしみじみとしちゃいました。

ものすごく当たり前のことなんですけど、自分がnoteにアップした記事を、どこかで読んでくれる人がいて。

誰かの生活の中に、自分が書いた文章が入る隙間があるって、嬉しいことだなーって。

休日、ソファでのんびりしながら、とか。
通勤中や、帰りの電車の中で、とか。

読んでいる人やシーンを想像すると、あったかい気持ちになりますね。うれしいなぁ。

・・・

で、冒頭に戻るんですが、引用してもらったこの記事を自分でも読み返したんです。
今年の2月に書いたものでした。

読み返しながら、これを書いた時の記憶がちょっとずつよみがえってきて。
ああ、そうそう、こんな時期あったなーって。

だけど、もう自分にとっては過去のことなので、自分が書いたーって感じは薄れていて。

気づいたら、一読者として自分が書いたものを読んでいました。

そして、一読者として、読み物として、自分が書いたものを「おもしろい!」って思ったんです。

うぬぼれてるな〜って感じですが(笑)でも、こうやって思えたのって、丁寧に書いたからだよな〜と思って。

ちゃんと、誰かに読んでもらうことを想定して、何があってどう思ったのかを省略せず、丁寧に書いたからこそ、未来の自分も「おもしろい!」って思えたんだなと。

たぶん、自分しか読まない日記だとしたら、もっともっと表現が適当だったと思うんです。

それこそ、「今日は寒かった。ポッドキャストおもしろかった。」みたいな。

これじゃあ読者も、未来の自分が読み返しても、つまんないですよね。

だから、人に読んでもらう文章を書くのってすごくいいことだなって思ったんです。

映画のレビューでも、本の感想でも、自分だけが読む日記じゃなくて、noteに書く。

そうすると、自然と丁寧に書くじゃないですか。あらすじもちょっと書いたり、写真付きで好きな場面を残したり、感じたことも丁寧に文字にする。

それは読者にとってもいいことだし、自分が読み返すときにもいいことなんですよね。価値とか、完成度が高まるっていうか。

・・・

あ、料理といっしょかもしれません。

自分が食べるだけだと、盛り付けとかお皿とかテキトーになりがちじゃないですか。

だけど、誰かに振る舞うってなったら、細かいところまで丁寧につくりますよね。

それといっしょだ。

だから、やっぱり書くことは自分のためにもなるんだなぁ。

それを再確認した日でした。

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