中学受験の思い出

中学受験の季節だった。

出勤途中の駅で、小学生の私が第一志望にしていた学校の「○○はあなたを待っている」というキャッチコピーが大きく掲げられたポスターを見た。

「私」以外を待っているとも知らず、緊張しながら受けに行ったものだなぁ。。

結局進学した学校は第4志望くらいの学校だった。受験を決めたのが小5の冬という遅すぎるタイミングだったので、親も無理に受けさせて「負け」というトラウマを残してしまったかな…と悩んでいたらしいが、入学式のあと、校長が保護者に向かって「生徒さん本人やあなた方ご家族にとって、もしかしたら望んでいた進学先ではなかったかもしれません。でも神様はあなた方を選んでここに集められました」ということを語ったらしい。さすがミッションスクール。さすが牧師。両親、特に母はこの言葉にとても救われたらしい。

学校生活は楽しかった。もちろん思春期なので全てが手放しに楽しかったわけではないが、他校出身者に聞いて比較したりなんかすると、私の学校生活は控えめにいっても楽しかったんだと思う。ありがたい。


高校に上がって夏休みくらいのタイミングで大学受験のためにぼちぼち塾に通い始めた。2年になって本格的に授業を選択し始めた頃、そこで元第一志望の現役生徒と同じクラスになった。学力的には、英語は真ん中、国語は一番上だった。

こんなもんか、と思った。例え私が元第一志望校に進学してても、多分このクラスにいるんだろうな、と。

中学受験の不合格の嵐に関しては、まあまあ仕方ないこととして受け止め、特にトラウマではないと思っていたが、やっぱり心のどこかに何かは残っていたのだろう。そのときすごく気が楽になったことをはっきり覚えている。

そして更に忘れられないのは、その子がクソほど性格が悪かったことである。細かくは覚えていないが、常に御三家の可愛い女の子にくっついて回って、自分の学校より下の偏差値の制服を着ている子にはニコリともしなかった。

あの学校に行かなくてよかった。と心底思えた瞬間だった。

結局、私は学校の成績が良かったので指定校推薦で第一志望の大学・学部に進学することが年内に決まって塾を辞めた。

あの子はどこに行ったんだろうか。


中学受験に関する思い出はもう一個ある。

私の小学校は田舎だったので、受験するような生徒は0.5割くらいだったのだが、仲の良かった友達が3年生くらいから地元でスパルタで有名な塾に通っていた。私よりうんと賢く、進学先は同じミッションスクール女子校でも偏差値が15くらい違った。

中学行っても遊ぼうね!と約束したものの、いざ進学するとお互い家が近かったわけでもなかったので、自然と会わなくなってしまった。

大学2年になり、サークルの新歓イベントに参加していると見覚えのある子が一年生側にいた。

もう6年くらい会っていなかったので、まさかなぁ…と思って声をかけなかったのだが、1.2年合同で受ける授業でもう一度その子を見かけた。

2回も会うなんて!と声をかけたら小学校の同級生だった。

本当にびっくりしたものの、それ以上に久しぶりに会えたことが嬉しくて嬉しくていろいろ話したかったのだけど、居心地悪そうにされてしまった。

なんであんなに塩すぎる対応だったのかその時すぐ気付かなかったが、きっと大学受験苦労したんだろうな。なんとも言えなくて、ただただ悲しかった。


ということで、小学校6年生のわたしは不合格をたくさんもらって、人生は思い通りにならないことを学んだが、神様は別に意地悪しているわけではなかったです。

という話。

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