恋愛や結婚の価値を押し付けてくるひとへ

27歳になり、「恋愛に興味がない」私に対して、急に周囲が「遠慮」し始めたり(今まで気づいていなかっただけかもしれないが)、親も娘がこのまま結婚しないことに対して、リアリティを持って考えはじめたり、それを私には決して口に出さないなど、より一段、ややこしいフェーズに入ったような気がする。


以前、学生時代からの長い付き合いがあり、互いをよく理解していると思っていた友人から「心配してる」なんてことを言われたことがある。

その子は、婚約者に浮気をされ、「わたしは男性にすぐ依存するから、今後はちゃんと1人で生きていけるようにする!」と宣言し、私のことを「一人で生きていける強い女」の代表として「あなたみたいに強く生きたい」と話した。そしてその1週間後には「好きな人ができた」と楽しそうにLINEを送ってきて、更に1ヶ月後には、それとは別の人と付き合ったりしている。

別にそれが悪いとは思わない。恋愛は学生でもアラサーでも楽しい。

でも先日、その新しい彼氏ができたことを聞かされたとき、別れた直後に夜中に散々話を聞かされ、慰め、励ました日々が、急にぼやけ、空洞になったような虚しさを感じた。と同時に、前段の「心配してる」という言葉が恋愛至上主義の元で発せられ、わたしがそれに興味がないことを見下し、雲の上から、日々地面を走り回って恋愛よりも仕事を優先するわたしを「かわいそうだ」と眺めて笑っているように思えた。そして、「心配している」というその言葉よりも、その言葉に中身がないことに気づき、傷ついた。

考えすぎかもしれないし、違うかもしれない。

そうだよね、多分文字通り心配してくれたんだろうね。

でも、そのことが更に私を絶望させた。


こういうのって、誰もが経験していることなのか。どう跳ね除けていけばいいのか。そもそもそんな人とわざわざ向き合うようなことなのか。

先週、『対岸の彼女』という小説を読んだのだが、そこにも結婚してない女と、結婚し子どももいる女の関係が描かれており、その関係や心理描写が絶妙で唸った(非常に面白かった)。

昨今はウェブや雑誌、エッセイなど、さまざまな「アラサー(アラフォー)独身女」系の読み物が溢れている。わたしももちろん読んだことがあるし、ときには助けられたりした。だから、きっとこの時代において、私が感じていることは、決してマイナーな「悩み」ではなく、ある程度の人数が直面することなのだろう。

でも、もちろんそれでことが解決するわけでもなく、全ての人に共通する答えはないし、自分で見つけるしかないんだろうなと思っている。


今日、本当にこんなことばっかり考えていて、文字にしないと泣いてしまいそうだったから一気にここまで書いてみたものの、何が書きたいかわからなくなったが、私は別に恋愛を見下すつもりはないし、素晴らしいものだと思っている。人を好きになった時の感覚って言葉にするのが難しいけれど、愛おしいものであることも知っているつもりだ。


ただ、あなたの物差しで、わたしを測らないでほしい。

わたしは、恋愛が全ての人生を望んでいないし、人生のゴールを結婚に設定していないし、これからも最高に好きなものを携えて生きていくつもりだ。

わたしはわたしを生きるから、あなたもあなたを生きてくれ。



・・・とここまで書いて夜ご飯を食べ終えてネットを見たら、アンジャッシュ渡部の不倫問題で大きな賑わいを見せていた。

今日1日、本当にずっとこんなこと考えてぼーっとしてたからテレビもつけていなかったが、きっとお昼のワイドショーもすごかったんだろうな。

私が恋愛や結婚というものにそこまで執着できずに、ちょっと俯瞰で見てしまうのは、きっとこういう報道や「世間の声」みたいなやつが賑々しくて、きっとネットがない時代であれば埋もれたままであったようなことが、良くも悪くもおおっぴらになって、あれ?これって本当にいいものなのか?と思ってしまったからなのかな、とぼんやり考えた。もちろん、幸せな生活を送っているカップルや夫婦もたくさんいると思うけど。ちょっと論点がずれたか。

でもまあ、とりあえず今日の着地点は、みんな、自分の尺度を持って、自分の人生を生きようね。ってことです。

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