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10 「デジタル田園都市構想」具現化を!
NHK鶴岡支局跡地にマンション建設の報道がありました。NHK鶴岡放送局は「鶴ヶ岡城高畑口木戸跡」という史跡に開局し、地域放送や文化センター、鶴岡放送児童合唱団などの文化活動の拠点でした。この場所に、地域活性化、観光振興、デジタル社会の担い⼿育成をめざす「時代を記録した映像等の保存活用開発機能」(多言語双方向型)を持つデジタルアーカイブスセンター(郷土歴史文化資料館兼デジタル研修・開発施設)を建設・造園し、「デジタル田園都市」拠点具現化を提案します。
以前投稿で、漱石になりたかった「石川栄耀(ひであき)」(1893年・明治26~1955年・昭和30、山形県天童市出身で(戦前・戦後に)「生活圏」の考え方を提唱した都市計画家。名古屋市区画整理, 東京都都市改造計画、戦後の戦災復興計画に関った)を紹介し、石川の上司で影響を与えた人物が鶴岡市出身の都市計画家で鶴岡市第三代市長(1927年・昭和2~1930年・昭和5)の黒谷(くろたに)了(りょう)太郎(たろう) (1874年~1945年)であったと述べました。黒谷はイギリスの都市計画家レイモンド・アンウィンと交流があり、彼なりに「田園都市」構想を翻案して「山林都市」を発表。生まれ育った鶴岡のイメージ(山に囲まれた都市)を元に、「平地(田園)は値段が高いから、田園都市ではなく、安い山林を使ってニュータウンをつくるべし」という理由で「山林都市」が考案されたようです。既成の都市全体を議論するコンセプトとしては使えませんが、山林を都市の外延ではなく、新たな都市空間と考えた彼のコンセプトは活かせると思います。都市計画の祖として彼らを研究することで鶴岡のアイデンティティと未来を探ることにつながると思います。
鶴岡市の市域⾯積は東北⼀広い 1,312 km²で、森林⾯積が約 73%です。中⼭間地域に点在する集落も多く、高齢化と⼈⼝減少により公共交通の需要が減少する中、運転免許を持たない交通弱者の⽣活基盤維持のためデジタル技術活⽤で時間と場所の制約を軽減する施策が不可欠。スマート農林業の推進、⾏政⼿続きの申請からサービス提供や在宅医療・介護サービスなどでデジタル化が必要です。
鶴岡市には山(出羽三山)、里(サムライシルク)、海(北前船寄港地)の魅力あふれる⽇本最多の3つの⽇本遺産があります。⼭岳修験の聖地出⽻三⼭の「⽣きるための精進料理」や家庭の「⾏事⾷・伝統⾷」が多く継承され、種を守り継いできた「在来作物」が 60 種類以上あり、⽇本の学校給 ⾷発祥の地であるなど、⾷・農の⽂化が評価されて『ユネスコ創造都市ネットワーク・⾷ ⽂化分野』への国内第⼀号の加盟都市になっています。市⺠が伝統と豊かな⾃然の中で、健やかに安⼼して⽣きがいを持てる地域 (「ウェルビーイング・コミュニティ」)の構築、そして⾼い⽣産性と⾃⽴・循環的な経済を有し、新しい価値を創造する⼈材が集う都市(「ローカルハブ)建設と発信が急務です。
国の「デジタル田園都市国家構想」が目指すのは、地域の豊かさをそのままに都市と同じ又は違った利便性を備えた、魅力溢れる新たな地域づくりです。鶴岡市でも、「鶴岡市SDGs未来都市デジタル化戦略有識者会議」(令和3年3月第1回から現在5回開催)が構想を練っています。⾼等教育研究機関とバイオベンチャーが集積する鶴岡サイエンスパークを形成しており、冒頭に述べたデジタル拠点と結んでまさに理想の「デジタル田園都市」づくりが可能です。行政・⾼等教育研究機関・ベンチャー企業・地場企業と連携し、その相乗効果が発揮されることを期待します。
都市計画の祖である石川と黒谷の他、明治神宮外苑の造営工事で三人の山形県人、白鷹町出身の耐震建築構造学者・佐野 利器(としかた)(1880年~1956年)、米沢市出身の建築家・伊東忠太(1867~1954)、新庄市出身の造園家・折下(おりしも)吉(よし)延(のぶ)(1881年~1966年)が重要な役割を担ったことを追記しておきます。(『鶴岡タイムス』(2023年3月15日号掲載)
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