セッションという名のco-creation(共創)
「やり残したことがないかと思って」
本日のセッションで招き入れていただいた先は、東京駅の目の前に位置する、大正期の重厚な建物の会員制ティーサロン。
新型コロナウィルスの影響で、すべてのイベントや会合がキャンセルとなり、ほぼ貸切状態の中、セッションがスタートしました。
「もう先がそんなに長くないと感じているので、やり残したことがないかと思って。」
数秘セッションを受けてくださるみなさんの動機は様々ですが、そのようなことを言われたのは初めてでした。
クライアントさんは、還暦を超えたとても上品な女性。その彼女に病気の影は一切なし。
現に彼女は、仕事も楽しくて仕方がない、健康面・経済面共に困っていることはなく、やりたいことはやってきた、という人でした。
でも、何かが引っかかっていたのだと思います。そしてセッションを開始した時点では、ご本人にもその引っかかりが何かは掴めていなかった。
必要なことは、数字とご本人が語ってくれるものだと私は考えているので、「進めていく中で見えてくるものがあると思います」とお伝えして、セッションをスタート。
説明は順当に進んでいき、笑いながらあっという間に過ぎていきました。
「あえて指摘するなら」を言ってほしい
始めてからおよそ2時間、すべての数字の説明も終わり、終盤に入ったとき。
「自分のことがよく分かりました。そして、このままの私で良いんだと思えました。でももし、あえて指摘することがあれば言ってほしいの。」
クライアントさんの方から、そう切り出されたのです。
「余生でやり残しのないようにしたい」という彼女の真剣さが、まっすぐに伝わってくるようでした。
そして私はセッショニストとして、自分に伝えられる限りの返答をしようと決めました。
彼女は現状として大きな問題はないように言っていましたが、実は私の中には事前の鑑定書作成の時点から違和感がありました。
レントゲン写真に写る影のような感覚。どれだけ数字の並びを見ても、浮かび上がってこない実体。
「しこり」のようなその違和感は、実際に彼女に会ってみても消えませんでした。
私が鑑定をセッションと呼ぶ理由
人は自分の耳に痛いことは聴きたくないものです。でも彼女は、そこにあえて向き合うことを決めてきたのだと思います。
私がずっと感じていたことを正直にお伝えしたところから、セッションはまったく別の方向に進んでいきました。
そして、たくさん話した末に見えてきた、彼女にとっての次のステップ。
もしそのステップが彼女にとっての「やり残し」だとしたら、それは必ずクリアしていってほしいものでした。
手つかずのまま逝くにはあまりに大きいもの。
それは、自分自身との本当のつながり。そして、自分という存在に対する絶対的な安心感と信頼を思い出すことでした。
彼女が一歩踏み込んでくれたことで開けた、新しい章の始まり。
ページをめくったのは本人ですが、ページをめくるタイミングかも知れないとお伝えするのは、私の仕事です。
お互いの掛け合いの中で切り出されていく現実。人の歩む道に正解も不正解もありませんが、「出会いがあって初めて拓ける道」というのは確かに存在します。
共に気づき、発見し、創り出す、co-creation(共創)のプロセス。
だから鑑定のことを「セッション」と呼んでいますが、この対面鑑定でこそ拓ける道、共有できる喜びがあります。
セッションにご興味がある方は、ぜひこちらのページを覗いてみてください。みなさんと、みなさんの数字と話をしながら、共に創造していく時間を楽しみにしています。
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