見出し画像

退職発表後に同僚から言われた、衝撃の言葉。

 卒業式の日の午後の職員会議。職員室にて、人事の発表が行われました。

「遂に、この時が来てしまった…」

 心臓バクバクの1日でしたが、結果的に私は円満退職をすることができたと思っています。今回の記事では、『私が卒業式の1日をどのように送ったのか』『先生たちの反応はどうだったか』などについて、時系列に沿ってお伝えしたいと思います。記事の最後には、私が経験して思った【退職をカミングアウトするコツ】についても記していますので、参考にしていただければ幸いです。

※文章の中には同僚から言って貰えた言葉をそのまま載せているので、「とんだ自意識過剰女だ!」と思う部分があると思いますがご了承ください(笑)

① 遂に、退職者の発表

 職員会議が始まり、遂に来年度の人事の発表です。校長先生は、まず定年退職の先生方から順に名前を呼んでいきました。呼ばれた先生は立って、思い思いに感謝の意を述べていきます。そこに送られる惜しみない拍手。そりゃそうです…定年まで立派に勤められたのですから。かたや、怖すぎてヒヤヒヤが止まらない私。

私👩(ここで私が呼ばれたら、みんな反応に困るに決まってる!)

校長👴「えー、てー先生。」

 一瞬「えっ…!?」とどよめく職員室。まだ私が自分から、退職することを伝えきれていない先生が多くいたからです。私は皆の視線にびびりながら立ち上がり、

「突然の発表になってしまい、申し訳ありません。お世話になりました。」

と言いました。ここで私が驚いたのは、大きな拍手が起こったことです。(何故3年で中途半端に辞める自分が拍手されているんだ…?)と、座りながら頭の上には「???」が浮かんでいました。

 あとで先生方から言われて分かったことですが、私の年齢を鑑みて”寿退社”と勘違いされていたようです(笑)この後、「結婚しません!」「子供産みません!」と悲しい否定をしながら挨拶周りをしました。

 しかし、寿退社ではないと知った先生たちの顔色は変わりませんでした。先生方は、「やりたいことがありながら、よく学年末まで勤め上げた」と。どうやらそこを評価してくださったようでした。

 ここに一つ、今回の円満退職の秘訣があったように思います。それは、”やりきること”。教員でいうと、年度の境目が大きな一つの区切りになります。私もどんなに途中で辞めようと悩んだかわかりませんが、今となっては途中で逃げなくて良かったな、と思います。「今年度で辞めたる!」と決め、12月の末に管理職に申し出たことで早めに退職することを確定させ、”3月末で退職できる”と自分の中でゴールを設けたことは、精神的安定に繋がりました。(※自分は幸い鬱病になることはなかったのでこの方法をとりましたが、危険だと感じる方は途中でも逃げてください!!)

 また、私はどんなに辛くても「コイツ辞めそうだな」と思われる負のオーラは出さないようにしていました(笑)疲れた顔と病んでる顔は全然違います。辞めると決めたら、意地でも辛さは顔に出すもんか、と。悟られないように常にポーカーフェイスでいましたし、業務もむしろ余計にバリバリやっていました。人間ゴールが見えると、強くなるものですね!🏃‍♀️💨

② 異レギュラー退職に興味津々

 職員会議後、新しい学年団で集まって盛り上がる先生たちがいる中で、私は一人震えていました。

 🥶(もう自分の居場所じゃないんだな…)(何を言われるのかな…)

 しかし、よくしてくださっていた先生方が、次々に話しかけにきてくれました。

「寂しくなります😭!!」と仲よくしてくれた後輩。

「びっくりしたよー!」「勿体ない!」「どうして辞めるの?」と先輩たち。

 お世話になった方々が、私を腫れ物扱いせず話を聞いてくれました。さらに、そんなに日頃は絡みのない先生たちも、私の今後にシンプルに興味をもって話かけに来てくれたのです。

 やはり先生方の一番気になるところは「何故辞めるのか」「これからどうするのか」。”定年までこの職一筋!”が当たり前のこの業界で、これから更にキャリアを積んでいくと思われていた人間が突然辞めるとなって、それは驚かれました。

③ いつでもウェルカム!?

 話を聞きに来てくれた先生たちに、私は

半年間スクールに通って、デザインとプログラミングの勉強をしてサイトを作れるようになり、半年後(現段階では)Web制作系の就職を目指す予定です。

と説明をしました。すると、「講師としてまた学校に来て!」「うちの学校の残念なサイト作り直して!」とオファーしてくれました(笑)「高くしますよ♡」と言ったら「もちろん管理職のポケットマネーよ!」と冗談が飛び交いました。

 辞める側のやりたいことが明確だと、「この人には他にやりたいことがあるんだ」「面白いな」と認識され、気軽に「また来てね!」と声をかけやすいのだろうと思います。

 今後のやることや夢さえはっきりしていれば、内容がなんだろうと応援してくれる人は出てくるはずです。あくまで目標であり必ずしも達成しなければならないわけではないので、「自分、実はコレやりたくて!」ってモノを一つでも用意しておくと、それだけで自分も周りも退職を受け入れやすくなります。

④  「ちょっと一杯飲みに行かない?」

 そう話しかけてくれた先輩がいました。プライベートで、サシで飲みに行くのは初めてでしたが、最後になるかもしれないと思い二人で飲み屋に直行しました。

 先輩は私と歳が近いとは思えないくらい、周りがよく見えて仕事のできる人でした。職場での立ち回り方が上手く、後輩の面倒見も良い。非常に尊敬できるが故に、手が届かんなぁ…と思う先輩でした。

 先輩が言うには、「”辞める”という決断を下すまでのプロセスをご教授願いたい!」とのことでした。教員からも児童からも好かれている、先生に向きまくりの先生がそんな事を聞いてくるとは夢にも思わず、ただただ驚きました。先輩の話を聞いていると、私のような若手の退職を羨ましいと感じている先生も一部存在することがわかってきたのです。

 素晴らしく仕事ができて、子供にまっすぐ向き合える先生でも、そんな事を思うのだなぁと。皆、意外と考えているのだなと気づきました。

 誰しも職場で「辞めたい」なんて口が裂けても言えないけれど、退職した私ならそんな話を聞く役に回れることにも気づきました。今後も同僚から職場の実態を聞いたり、仕事を辞めて自分は何ができているのか話すことで、互いの選択肢を広げることも可能な気がしました。

⑤ みんな、自己実現がしたい

 先輩は、実は私と似た考えを持っていました。”仕事を辞めたらやりたいこと”がすごくたくさんあったのです。むしろ、私よりもそのビジョンは明確でした(笑)ゲストハウスや山小屋の経営がしてみたい、資産運用を始めたい、創作活動がしたい…等々。時間とお金があったら一人旅もしてみたいよね〜!なんて話も盛り上がりました。

 教員に限らず、会社勤めの方でも同じだと思いますが、やりたいことを阻む壁は、常に仕事に搾取される時間と体力です。私は時間と体力のなさを理由に、「いいつかやれたらいいな」と思うだけで、そのうち思ったことさえ忘れ去っていました。だから転職したいと思っても、「自分には何の取り柄もない」と負の感情に襲われました。とにかく毎日をこなすことに必死になっていた私には、いつの間にか”好き”と思えることがなくなっていました。平日は死ぬ気で仕事をし、休日は外に出てお金を使うことを喜びとするか、寝て体力を回復させるかの二択。生産性のある活動、といえそうなことを長らくしてきませんでした。

 「やりたいならやりゃいいじゃん」と言われたことがあります。本当にやりたいなら仕事を言い訳にするな、と。教員に限らず、企業勤めの人間だって、仕事以外で自己実現している人はたくさんいるのだから、と。言いたいことは分かります。

 でも、他の人にできることは必ずしも自分にもできるとは限りません。取り巻く状況は人それぞれですし、本人が無理だと思っているうちは無理なのです。長時間労働で死にそうに疲れている中、休日も休まず自己実現に時間を費やす気力が私にはありませんでした。「弱い」「言い訳だと」言われればそれまでですが、どうしても休日は娯楽と休息に走ってしまう。そんな環境で、「好きなことを仕事に」なんて考えても、”生涯やりたいこと”が見つかるはずなかったのです。

 人間の時間と体力には限界があります。学校の先生は、労働の対価として安定した給料を得ることができますが、それと引き換えにやりたいことを我慢しているケースも非常に多いのではないか、と今更ながら気づいたのです。私のような無個性で、やりたいことも分からない人間(おまけに独身無職…)は周囲に対して強い引目を感じながら生きていくことになるだろうと不安に思っていましたが、周りからみたらこんな自由な状況の人間はある意味希少なのかもしれません。

 「勉強したい」という理由を「逃げ」と捉える人は少ないと思います。

⑥ ”学びたいこと”はありますか?

 同僚の中で、「てー先生は一度学生に戻って、学び直しをする」という解釈がされています。”学び直し”って言葉、何だかちょっと偉そうで小っ恥ずかしいですが、これからの私にある意味当てはまる便利な言葉やと思います。

 これまでの3年間は、授業に学級経営に保護者対応に…、子供に向き合いながら常にアウトプットの連続でした。毎日失敗しまくりながらの実践。スタミナや忍耐力は嫌でも身についたのではないかな、と思います(笑)この半年は、ゆっくり学習にあてられる時間を有効に使って、是非インプット率も高めにしていきたいです。

 日本人の大人の1日の平均勉強時間は、6分と言われていますね。私は普通に0分でした(笑)学校から一歩でればもう心はもぬけの殻。ご飯を食べてお風呂に入って寝ることしか考えていませんでした。大人になってから新しく何かを勉強することは、ものすごく労力が要ることだと思います。

 私は退職後、すぐに転職しない選択をしたことに、今のところ後悔はありません。履歴書に穴は空きますが、給与にとらわれず自己実現できる絶好の機会を得たと感じています。自分自身と向き合う時間を、しっかり作っていこうと思います。

 私は「退職後何をしようか」ということについて、半端なく悩みました。現在も、絶賛悩んでいます(笑)でも、悩むことは決して無駄じゃないということは感じました。Youtuberになろうか、ブログをやろうか、旅に出ようか…色んな選択肢を並べてみて、悩み抜いた上に出した結論がWebデザインの勉強でした。結果がどうあれ、後悔はしないと信じたいです。

⑥ 【てー式】退職のカミングアウト法

 12月末の時点で、管理職と学年主任は私の退職のことを知っていました。その後、管理職が事務室で私の退職書類に関する電話をしたことが原因で、1月の時点で事務さん2人と栄養士の先生には退職のことが伝わってしまっていました(笑)

 退職発表の前々日、隣のクラスの先輩と、先輩もう1人にカミングアウト。前日に、同期と後輩。という風に、前日までに徐々に自ら広めていきました。発表の場で親しい人が知ってしまうと、ショックが大きいと思ったからです。

 お世話になったお局様には、卒業式の直前にタイミングを見計らって伝えました。すると、退職発表前に更衣室にて、お局様が私の退職について大拡散している場面に遭遇しました(笑)「もうあとどうせ1時間後には周知されるんだから寧ろ好都合やん」と捉えた私は、その場にいた人たちに退職理由など打ち明けました。

 もう既に退職が決定している人に対して、もう何かと理由をつけて止めてくるような人は絶対にいません。内緒にしている期間は少し窮屈かもしれませんが、後腐れなく辞めたい場合は発表直前のカミングアウトが個人的にはおすすめです。事前に伝えることで、相手の方も「事前に打ち明けてくれた」という認識をもつので、打ち明けない場合よりも応援してくれやすくなると思います。直前にやや広めることで、周囲の人たちの受け入れ態勢を作ったことはよかったと思います。

発表時に知ることはショックが大きいので、お世話になった人には前日か発表直前までには直接自分の口で伝えましょう。

おわりに

 この記事は、教員の職を辞することを推奨するものではありません。私という人間も、出来ることなら一生先生を続けていたかった。教員になるために教育大学に通い、免許を得て、採用試験も二度受けたのですから。私のこの数年は、「いい教員になる」ことのみを目標に据え、がむしゃらに頑張ってきた期間でした。

 そんな過去の努力・今の”教育公務員”という肩書・安定した給料…全て捨てて仕事を辞めるということが苦渋の決断であったことは、どなたにとっても想像に難くないと思います。どんなに周囲(特に親)に反対されたことか(笑)でも、もし人生を通して他にもやってみたいことや興味のあることに挑戦してみたい人がいるのなら、このご時世に退職を考えることは逃げでもなんでもない。むしろ、アリよりのアリだと私個人は今回の出来事を通して感じました。

 これから教員になる人にも、今バリバリお仕事を頑張っている方にも、仕事辞めたいなぁが口癖になっている方にも、何かしらの参考になれば幸いです。

 お読みいただき、ありがとうございました😊🌱

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?