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ラフロイグの夜

週末の楽しいパーティ前に一人銭湯行って、少し一杯飲みたいなと思った。

人気のいない界隈を歩き、光る看板を見つけBARであると確認し、ふらり一見さん立ち寄った。

扉を開けると懐かしい60年代くらいの音楽がかかっていて、古びたレコードやら雑誌やら判別不能な物達が溢れかえっている店だった。
唯一のボックス席で、常連さんらしい二人組みが、掛かる音楽に対して逐一談義している。

ひげもじゃのバーのマスターらしい方が「初めてですか」と問うのでイエスと返事すると、カウンターに案内され半分以上何物かが雑然と積まれている、それらに押された端の三席の真ん中に案内される。

ラフロイグのロックを頼んで、しばしマスターと、岡山は良い町ですねそうですかね映画は何を観ますか戦争映画以外なら好きですね。たわいない会話をした。

しばし、グラスの氷を回し飲んでいるところで尿意をもよおし席を離れた。

快尿をし席に戻ると、鼻筋が美しい男性が横に座っていた。あまりに席が近いので、すみませんと声を出し座ると「素敵なお召しものですね」と褒められた。ありがとうございますと私。

埃の被った沢山の酒瓶を見ながら、また飲み始めると、隣から岡山の方ですかと問われまた雑談が流れる。私は毎回繰り広げられる初めて会う人との同じ会話が嫌いでない。はぅどぅゆどぅの長めのやつ、ふぁいんせんきゅー私も答える。

しばし話した後に、彼女は「知り合いのママにミンクのコートをもらったのよ」と見せてくれた。「今なら動物愛護で怒られるよね」と言うので、生涯大切に着られるなら良いと思いますよ、しかもお似合いですよと笑い合った。

彼女はLGBT(彼女はジェンダーと呼んでいた)で、カトリックだと語り、たまに絵のモデルをしていると、その画の写真を見せてくれた。

海外の新聞の上に描かれた柔らかな水彩人物画に、この絵を描いた人の人物内省を思い描き多分違いないだろうなと、表現するものは人なりを嘘偽りなく現すなぁと、違う所で感心していると、イエス様が仰っていることと全く違うことが世界で行われているねと唐突に彼女が言う。

いつのまにか、オタクな音好き二人組みは帰っていて、私と静かに俯くマスターと彼女だけだった。

私は、聖書は根源的なものを語っている書だから、色々な解釈が出来るから良いものにも悪いものにも活用出来るのだと思います。戦争や人々を従わせる材料にしているだけで、どう考え使うかは個人にかかっているのだと、今まで喧嘩になったり怒られたりするのではないかと誰にも言った事のない説を言った。

すると、そうねぇと、すんなり受け入れられ、もうちょっと飲みましょとラフロイグ奢って貰って宇宙やギリシャ神話や、私女でも男でもあって生きづらい時あるのよ全然そんなことこれからはありゃしませんよの話しをした。そんな夜。

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