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美術館の新しい開きかた。「作品のない展示室」の個人的記録

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コロナ禍の2020年3月〜9月の記録。「作品のない展示室」で妙に注目されてしまった東京・世田谷美術館の中から見えていたこと。こんなふうに新しく開くこともできる、という発見の日々。
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#エッセイ

こどもたちが久々にやってくる。コレクションを上手に増やす。どっちも美術館の明日になる。【美術館再開日記17】

子どもがグループで来るって!!!当館ではまったくの日常だったはずのことが、大事件のような扱い。コロナ時代だ。そうなっちゃったのだ。やわらかくって、ちっとも言うことを聞かない生命体にふれると、あらためてじわーとなる。 そんな事件に興奮する日もあれば、人に会わずに黙々と作品に向き合う日もある。ゆくゆくは当館のコレクションに入るかもしれない作品群の調査。コロナ&予算削減ゆえによそからモノを借りることが難しくなるのなら、自分の持ち物だけでなんとかする、そんな企画展を何本も考えるしか

子育て中の同僚の言葉。そして先は見えないけれど。【美術館再開日記16】

コロナな日々になってからは、同僚とのランチが今までよりもずっと大事なものになった。特に子育て中の同僚たち、のなかの女性たち。そうでなくても大変なのに、コロナもやってきて、はかり知れないストレスを日々抱えているはずだ。 でもみなさん我慢強いので、言わない。なのでランチどきに、こちらから訊いてみたりする。そのたびにハッとする。日記は、うんとささやかなことだけに、とどめた。 美術館再開52日目、7/31、曇り。お誕生会ランチで。 都内のコロナ感染確定者ざっくり500人。 世田

私たちは必ず「場」を取り戻す。【美術館再開日記9】

どうしても伝えたい。最初からではなかった。「作品のない展示室」の最終形が見え、来場者が実際にどう過ごしていくかを見つめるなか、日々ふつふつと思いがつのっていった、という方が正しい。 ひとり、または信頼できる少しの人たちと静かに過ごしつつ、 何かに思いを馳せる場。あるいはいろんな人がたくさん集まって、 未知のエネルギーが生まれてしまう場。 それを手放しちゃダメだ、私たちは必ず取り戻す。これを伝えたい。 美術館は一般に前者のイメージが強いと思うが、現代美術系の展覧会では、後者

「作品のない展示室」が始まった。【美術館再開日記8】

「作品のない展示室」初日。近隣住民や取材狙いの記者が、開館と同時にどどっと入場。始まる前からえらく話題になってしまっていたのだ。主担当者は朝から晩まで取材受けっぱなし、広報担当者は当惑しっぱなし。webに写真1枚とあいさつ文アップしただけなのに。 副担当の私自身は、「特集」の展示が仕上がって単純に嬉しかった。展覧会以外の活動は、いつでも本当に見えにくい。それを展示室できっちり堂々と見せられるのは、ほぼ奇跡なのだ。当館のように、教育普及活動などを長年しっかりやっている館であっ

「作品のない展示室」オープン直前、ぶつかる、でも大丈夫な気がする。【美術館再開日記7】

開幕ギリギリまで準備した「特集 建築と自然とパフォーマンス」。「作品のない展示室」の最後のアーカイヴ展示だ。てんやわんやの準備のなか、展示だけではダメだと思い始めた。今、こんな状況だからこそ生身のアーティストと何かをやろう。やる。 という決意と対話の再開第5週は、しかしコロナ感染者の再急増という事態にぶつかる。ぶつかりといえば、「作品のない展示室」全体の、最終の姿が生まれるまでの議論もあった(詳細は割愛)。こういう議論は世代交代の一歩だなーとも感じていた。 どっちも未知。で

裏方のみんなの、ほろ苦いあれこれ。【美術館再開日記6】

「作品のない展示室」開幕まであと1週間、いろんなことが大詰めだった。「人と美術館の関わり方のこれから」、というテーマに関心がある私には、忘れがたい、ほろ苦さも混じるようなことがたくさんあった。「人」とは今回の場合、ほぼ裏方である。足繁く通ってくれていたボランティアのおっちゃんや、展示室を見守る監視スタッフの声。館内をピカピカにしてくださるお掃除の方々。あとは展示室の施工(それなりに準備は必要だったのだ)直前に発覚した「どうしよう」なことなど。 美術館再開19日目、6/24。

「美術館女子」が見せてくれた、寒々しい光景。【美術館再開日記・番外編】

割愛してもよかったのだが、これもこの時期の日本の美術館をめぐる状況をよく示す出来事のひとつ、には違いない。「美術館女子」という名の連載、というか1回で終わった、新聞社の企画。その記事を目にしたのは、自分の勤める美術館がやっと再開し、恐る恐る手探りで進み始めたときだった。web版の記事は既に削除されているのでここには掲載できないが、記事の公開は6月12日、私がweb版を読んだのは6月14日、fb日記を付けたのは6月15日。既に炎上していたらしく、日記アップ直後に「美術手帖」の解

見えない「動き」を、探る。【美術館再開日記3】

息が詰まるようだった再開の最初の3日間、だが次の3日間は、来るべき「動き」の気配を感じて過ごしていた。まだかたちは見えない。でも始まっていた。 ふだんなら展示室をたまに回る程度なのだが、ともかくコロナで館内あらゆる場所の人の動きが読めなくなったので、受付とカフェも日々の定点観測の場所になっていく。 特にカフェ。公園から直接ふらりと立ち寄れるので、たぶんこの美術館で最も多様な地元民が集まる場所だ。犬の散歩に来たり、走りに来たついでに寄る人たち、ママ友仲間でテラスを使う人たち

再開最初の3日間。観察する、走る。【美術館再開日記2】

壊れてしまう、という皮膚感覚ー再開直前緊急事態宣言後の在宅勤務中、ウィルスへの恐怖に苛まれつつ「これをくぐり抜けたら自分のフィールドから社会を再起動するんだ!」などと勇ましく決意したものの、すぐに具体的にできることがない。と思ったのはほんの一瞬で、4月末から総務部・学芸部のマネージャー(私はそのひとりで、企画展関係の諸事を預かっている)がそれぞれの事業の再開計画づくりに着手し始め、5月半ば、その全体像が見え始めたとき、かなりのショックとともに、自分のやるべきことが見えた。

臨時休館中に考えたこと。【美術館再開日記1】

出勤したら休館になっていた世田谷美術館が臨時休館に入ったのは2020年3月31日。決定は前日夕方で(休館日だった)、広報チームはとにかく公式サイトに休館のお知らせを出した。しかし内部では連絡がうまく行き渡らず、出勤してきて「え、今日から休館?!」と初めて知るスタッフもいた。間抜けな話だが、それくらい誰もがどう動けば良いのかよくわかっていなかった。 実はその3日前に公開した館のブログでは、コレクション展関連の講演会は中止にしたけど講師のトークはポッドキャスティングで聴けるよ、と

耳をかすめるヌルリ。臨時休館前夜その2【美術館再開日記・序】

線引き2020年2月29日から、文化庁の管轄下にあるミュージアムや劇場が臨時休館に入った。27日に出された文科省・文化庁の要請によるものだった。 以降、私の勤める館も含め、全国の公立美術館の多くは「ウチのお上からはいつお達しが来るのか」とジリジリすることになったはずだ。現場独自の判断ができない仕組みだからである。休館開始の日付も、休館中のスタッフの働き方も、再開の日付や方法も、設置者である自治体の意向を常に様子見しながら未体験の具体策に落とし込み、決定が出たら即座に実行する

ギリギリの移動のなかで。臨時休館前夜その1【美術館再開日記・序】

「美術館再開日記」の序章、「臨時休館前夜」。2020年3月の日記の抜粋、今回はその1。 この頃私は、コロナ感染症の情報を必死で集めつつ(その心労で身体に不調が出ていた)、移動への罪悪感を抱えながら(これも不調のもと)、次のプロジェクトへと気持ちを切り替えるためにごく短い台湾旅行に出かけ(第一波を見事に収束させた直後で、しかし日本ではそのことがまだ知られていなかった)、帰国後はどうしても会っておかねば、話しておかねばというアーティストたちのもとを訪ねていた。 すでにあらゆるイ

美術館再開日記、ちょっとずつアップします

コロナ禍の美術館でー「作品のない展示室」2020年は誰も想像していなかった年になった。コロナウィルスによって。これを書いている今も、世界中でまだ誰もが手探りを続けている。でも薄明かりは射している。未知の誰かときっと手を結べる気がする。 私は東京郊外にある公立美術館に勤務している。 世田谷美術館。略して「セタビ」とよばれる。緑豊かな公園の一角にある。 1986年開館、バブル期の華やぎをひとときまとい、2000年代以降はかなり「冬の時代」を生きている文化施設であるが、アンリ・