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私とイランとの出会い

2011年に初めて全く知らないイランを訪問してから13年。13年たってなぜ今イランの銅食器を日本の方々に広めたいのだろうと思うこともあるし、これだと直感を信じているところもあります。

東京の大学卒業後はスイス・ジュネーブの大学院に進学しました。あこがれの海外大学院留学を楽しみにしていましたが、私はどうしてもヨーロッパの価値観がしっくりきませんでした。大学院卒業前にちょっとつらいことがあって半分自暴自棄になっていた時に、ヨーロッパだから別の世界を見てみないとと思って適当に旅先として選んだのがイラン。悪の枢軸ってどんな国だろう、でもペルシャの栄華はあるし、調べてみたら結構見どころあって面白そう、その疑問や直感を信じてみて1か月1人で旅をしました。

イスタンブールで乗継、テヘランに到着して初めて向かった先が南東部のケルマーン。この地はバム遺跡など見どころもたくさんで、かつては多くの日本人観光客も訪問していた場所でしたが2007年ごろの外国人誘拐事件が連続したことから一気に観光客が激減した場所。それでも行ってみたかったのですが、あの初日の衝撃って、今でもいい意味で私のイランとの出合った原点です。

女性はスカーフで頭を覆わないといけないし初日で慣れていない私、外国人をなれない目で見る現地の人、スィスタン・バロチスタン州というイランで最も治安の悪い場所出身のパキスタン風の胴長の服に長いひげを蓄えた男性たち。。。慣れてしまった今では全くですが、当時の私はバザールを一人で歩くのすら怖くて、そんな彼らがいないようなバザール内のチャイハネ(お茶屋さん)に逃げ込んでしまいました。

チャイハネでほっと一息した後は、30キロほど郊外にあるマーハーンのシャーザーデ庭園へ。ここはティグラーン山脈の裾野にあり荒涼とした砂漠の中にポツンと美しく緑と花が溢れる庭園で有名です。バザールで感じたあの恐怖心も、咲き乱れる薔薇や緑ですっかり癒されました。そのあとはもう一つの観光スポットであるシャー・ネエマトッラー・ヴァリーの霊廟へ。かなり距離が離れていますがどうやって移動しようと迷っていた時にタクシーがやってきました。これが私のイランでの初めてのタクシー経験。イランのタクシーって外国人に対してぼったくりするのではないか、言葉通じないし大丈夫だろうかと思いながらも、きっとこのたびうまくいくと願いながらなんとか値段交渉してこの写真にあるタクシー運転手さんの車に乗り込みました。

無事霊廟に訪問した後も、そのタクシー運転手さんは私のことを待っていました。何を言っているかもちろんわからないですが、どこかへ招待したいと。でも変なことがあったらいやだなと思いつつもちょっとは信じてみて乗っているとマーハーン市郊外の運転手さんのお宅に到着。あぁ、しまった、もしかしたらぼったくりを受けるのかもしれないと危機感を感じました。ただはにかみながらも好奇心旺盛に近づいてくる奥さんやお子さんの差し出すチャイ(お茶)すら一滴も飲まず、この場を早く去りたいと私はずっと怯えていました。その怯えを察してからか、おそらく運転手さんはそれならさっきの霊廟へ一緒に行こうとのことで、家族全員でよそ行きのおめかしをして霊廟に再び戻りました。

やっと霊廟でほっとできた私。ペルシャ語は全く分からないけど無邪気に霊廟の説明をしてくる家族たち、そして一緒に写真をとろうよ、言葉は通じないけどなんだか会話を一生懸命してくる彼らを見て、先ほどの私の拒否反応はなんて彼らに対して失礼なことをしたんだろう、なぜ彼らを素直に受け入れられなかったのだろうと後悔し始めました。行動規範や文化、「おもてなし」って文化や人によって違います。私が彼らのおもてなしの心を拒否した理由がただ彼らのことを何も知らない先入観からだとしたら、彼らを本当に傷つけてしまったのではないかと、それでも屈託のない笑顔で私を迎えてくれる家族にいつしか私の頑なな心も溶けて行きました。

お別れの際にこの日のタクシー代を払おうとしたらかたくなに拒否した彼ら、何かあったらいつでもこの番号に連絡してほしいと渡され頂いたメモ用紙。そして屈託のない笑顔。「旅人は神様からの使い」とイランの諺を知ったのはそのだいぶあとでしたが、あのタクシー運転手との出会いは今でもイランを知るため、楽しむための道しるべとなっています。




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