東京茶寮_玉露_あさひ_TTJ_1月号_VOL9_5008

この世の中で、お茶の価値はそれじゃない。

2020年の日本はまさにディストピアの様相を呈している。原因は1つではないけれど、コロナウイルスが見せた現実は目を覆うようなものだった。


連日こんな内容のニュースばかりで、嫌気がさしているのはわざわざ言うまでもない。こんな状態をみるにつけ、「日本は先進国ではないんだ」というのを着実に証明していっているようで気が滅入る。

正直、いまの世の中はなんだか息苦しい、狭っ苦しい。外部のみえない圧力、周囲のものさしを気にしてしまう。そんな感情を抱えて過ごす時代になった。だから、これは独り言だ。(なので、ですます調ではない。)


流れに乗って

そんな中、私のようなお茶関係者のあいだでにわかに増えたSNS投稿がある。「お茶はウイルスに有効だからいまこそお茶を飲もう」。最初に述べておく、この内容に異議はない。新型はともかく、医学的にもカテキン(エピガロカテキンガレート)がエンベロープウイルスに対して抗ウイルス性があることは発表されている。

しかし、この「機能性」ということをもってして、お茶は有益なのだ、良いものだ、飲むべきだ、という論法に対しては慎重な態度・適切な距離を取りたい。デマ情報だからと一蹴するわけではなく。違うのだ、それがお茶の価値だというのは、違うのだ。。。


本当の価値がみえなくなる

凡庸な理由をさきに述べておくと、ひとつは、その信憑性・効果がある可能性は一定程度認めるとしても、新型の特性が完全に確定的になっていない状況で、有益情報として拡散する必要性があるとは客観的にいえない。

ウイルスの危険性以上に、人の不安感や焦りが蔓延しているいまの状況を考えると、それにかこつけてビジネスの利害関係がある発言はマスクの件と構造的には同じ、さもしい気持ちになる。当然、「お茶飲んでよ」って周囲の人間に個人的なおせっかいで伝える分には、もしもの場合を避けるための愛情として素晴らしいことだと思う。

そうした釘を刺したところで、私が本当に書きたかったことはこうだ。いまの息苦しい、狭っ苦しいこの世の中で、外部のみえない圧力・周囲のものさしを気にしてしまう状況において、お茶は実に「個人的で、主観的で、自由な楽しみ」なのだ。この自粛に次ぐ自粛、自制に次ぐ自制の閉鎖社会の中で、お茶という存在が放つ輝きはまぶしく私たちの心を照らす。自分のコントロールできない範囲のことから離れ、誰にも邪魔されず、ただ自分が心地よい状態を探ることが許される。そのことが今の状況に対する本質的な処方箋なのだということを、私たち茶業者が言わないで、誰が言うのかと

もし仮に、お茶がその機能性を根拠として価値があるのだとすれば、凝縮したカテキン抽出液のカプセルや、まったく新しい医薬品によってすぐに取って代わられてしまうだろう。ある特定の成分や効能を求めていては、それが効率的に製造・摂取できる方法に代替されていく。すぐに「ハック」されてしまう。(そして、その方が全体にとって良いことだ。)


そもそも、人間は寿命を伸ばし、便利や効率によって幸福度が上がったのか?

私たちは、人類史上もっとも健康で寿命が長く、多くの病気が治療可能になり、治安がよい時代(国)に暮らしているといえる。では、それに比例して幸福度は高まったのか?むしろ不安は増し、精神衛生は益々悪化しているのではないか?

本当に解決しなければならないのは、外部の複雑な競争環境や善悪の基準にさらされて理由のない不安や焦燥で心を乱しているいまの状況ではないのか。どうにもならない外的環境から離れ、自分が自分らしく振る舞える健全な部分を持ち、自分勝手に心地よい状態を探る。自分の内なる感情に向き合い、心を落ち着ける。それだけのシンプルなことではないだろうか。

次から次へと発生する個別具体的な問題に対して、場当たり的な方法で外科手術のように取り除いていくスタイルを助長している場合ではない。お茶の本当の価値は、自分だけが決められる。外部の誰にも邪魔されず、自分のためのわがままな時間を作れること、あるいは大切な誰かのために個人的な場を作れること。そのあり方が、情緒が、いまの社会で足りないことであり、必要なことなのだと思う。その価値に真っ先に光を当てずに、何をしているのか。


絶対的正解がない世界で

ある人は、この香りのお茶が好き。ある人は、また別のこんな味のお茶が好き。私の目の前で、そうした好みの違いが日常的に生じている。そのどちらも素晴らしいと肯定したい。人それぞれの好みであって、本当はそこに優劣がない。全くの上下がない。私たちが個性的で多様性のあるお茶を提供しているのは、そうしたポリシーを持っているからだ。


言いたいことも言えないこんな世の中じゃ POISON


この世の中の毒(ポイズン)を解毒し、取り除いてくれるのは、カテキンではない。お茶のもつ「個人的で、主観的で、自由な楽しみ」だ。

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