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小鳥遊優&諏訪野良太&朝霧明日香の日常カルテ


現在、文庫版『祈りのカルテ』が全国の書店で好評発売中です。

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というわけで発売を記念し、一昨年『天久鷹央の事件カルテ 火焔の凶器』刊行の際、特典として配布した掌編を公開いたします。

『祈りのカルテ』の主人公、諏訪野良太が、『天久鷹央シリーズ』の小鳥遊優、『リアルフェイス』の朝霧明日香と居酒屋で飲むお話です。

三人の意外な関係をぜひお楽しみください♪


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 階段を上って地下街から出た僕、小鳥遊優は羽織っているコートの襟を合わせて体を震わせる。五月だというのに、季節外れの寒波のせいで外は真冬のような寒さだった。

 金曜日の午後八時、仕事帰りのサラリーマンでごった返している新橋駅前を目的地に向かっていると、突然「あ、小鳥遊先生」と声を掛けられる。振り返ると、若い女性が小さく手を振っていた。可愛らしい顔には人懐っこい笑みが浮かんでいる。

「あ、えっと……どうも……」

僕は首をすくめる。顔に見覚えはあるのだけど……。

「あれ、もしかして誰だか分かりません?」彼女は悪戯っぽく言う。「三浦ですよ。三浦あかね」

「あっ、三浦さん!」

 純正医大本院外科病棟の看護師だ。僕がまだ外科医だったころ、よく一緒に働いていた。

「ごめん、ナース服じゃないから分からなかったよ。元気だった?」

「はい、元気ですよ。小鳥遊先生は調子いかがですか? たしか、市中病院に出向中ですよね。やっぱり大変ですか?」

「……ああ、大変だよ」

 先日、『蘇る殺人者』の事件解決の打ち上げ(という名の地獄)で鷹央に徹底的に酔い潰された記憶が蘇り、顔が歪んでしまう。
僕とあかねはその場で軽くお互いの近況報告をはじめた。

「あっ、これから病棟の飲み会なんでそろそろ行かないと」

 数分後、あかねは腕時計に視線を落とした。

「それじゃあ小鳥遊先生、今度、飲みにでも行きましょうね」

 コケティッシュにウインク去っていくあかねの背中に、僕は「ああ、じゃあね」と小さく手を振る。可愛らしい看護師に誘われたことに、一瞬にやけてしまうが、よく考えたら彼女の連絡先を知らないことに気づき、テンションが急降下する。最近浮いた話がないとはいえ、社交辞令を真に受けてしまうとは……。

 肩を落とした僕は、とぼとぼとガード下に向かうと焼き鳥屋の赤暖簾をくぐった煙で満たされた店内を見回すと、奥のテーブル席で親友である諏訪野良太が「小鳥遊、こっちこっち」と手を振っている。その顔がすでに真っ赤だった。

「先にちょっと始めてたよ」

 テーブル挟んで向かいの席に腰掛けた僕に、諏訪野は陽気に言った。この諏訪野は医大時代の同級生で、いまは純正医大本院で循環器内科医をしている。先週、久しぶりに飲まないかと連絡が来て、今日ここで待ち合わせしていた。

「ちょっとって、顔真っ赤じゃないか。一人でそんなに飲んでいたのかよ」

「いやいや、一人じゃないよ。もう一人連れてきてるんだ。いまお手洗いに行ってるよ」

「もう一人?」

 聞き返すと同時に肩を叩かれる。振り向くと、黒髪をポニーテールにした小柄な女性が微笑んでいた。大学時代、空手部の一学年後輩で、いまは麻酔科講座の大学院生をしている朝霧明日香だった。

「朝霧?」

「どうも小鳥遊先輩。お久しぶりです」

明日香は僕のとなりの席に腰掛ける。

「なんで朝霧がいるんだ?」

「実験が終わって、研究室から帰ろうとしたら諏訪野先輩に捕まったんです。『小鳥遊と飲むから、朝霧ちゃんもおいでよ』って」

 朝霧は学生時代と同じ、屈託ない笑みを浮かべながら「とりあえず乾杯しましょ」と店員に生ビールを注文した。


     2
「でさ、新しい職場はどんな感じなの? 指導医とか厳しい?」

 乾杯を終えると、諏訪野が赤い顔で訊ねてくる。

「上司は、なんというか……子供みたいな人だな。いろいろな意味で。振り回されて結構大変だよ」

「子供みたいな上司! そういうの、ほんっとうに困りますよね。まったく迷惑です!」

 なぜか朝霧が突然、苛立たしげにテーブルにジョッキを叩きつけた。

「いや、迷惑ってことは……なきにしもあらずだけど……。かなり世話になっているし。尊敬できるところもたくさんある人だから……。なんだよ、お前の大学院の先生、そんなに変な人なのか?」

「大学院の先生じゃありません。バイトで麻酔を掛けに行っている美容外科のドクターです。ほんっとにわがままで、ナルシストで、何かと人のこと小馬鹿にして……。ああ、一度顔面に正拳を叩き込んでやりたい!」

「……やめろよ。お前の正拳。女子とは思えない威力なんだから」

 僕が引いていると、諏訪野がジョッキを掲げる。

「まあまあ、嫌なことは飲んで忘れようよ。あ、そうだ。二人とも最近浮いた話はないの? 新しい恋人できたりしてない?」

「全然だよ……」「私もまったく……」

 僕と朝霧のため息が重なる。そのとき、諏訪野がはっとした表情を浮かべた。

「そういえばさ、昔ちょっと噂を耳に挟んだんだけど、小鳥遊と朝霧ちゃんって学生のころに一時期、付き合って……」

 僕は素早く自分のジョッキ手に取に立ち上がると、諏訪野の口元押し当て、その喉にビールを流し込みはじめる。

「そんなことはいいから、とりあえず飲め。いいから飲め!」

「そうですよ、諏訪野先輩! どんどん飲んで! あっ、店員さん、ビール大ジョッキでもっと持ってきてください」

 朝霧も席から腰を浮かして、諏訪野の口に琥珀色の液体を注ぎはじめた。


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 十数分後、テーブルに突っ伏し、幸せそうに寝息を立てはじめた諏訪野を見て、僕と朝霧は安堵の息を吐く。

「これで大丈夫だ。諏訪野はいつも潰れる直前の記憶がなくしているから」

「でも、無理やり潰して、ちょっと悪いことしちゃいましたね」

「こいつ、ほっといてもどうせ潰れるまで飲むから、気にしないでいいよ。あとで僕が自宅まで送り届けとくから」

「あの蝙蝠みたいな車で、ですか? 飲酒運転は駄目ですよ」

「ちゃんとタクシーでだよ。というか、僕の大切なRX‐8を蝙蝠とか言うな。恋人がいないいま、あの相棒だけが僕の心の支えなんだから」

「……先輩、それ他の人には言わない方がいいですよ。あまりにも寂しすぎです」

 憐憫の眼差しを向けてくる朝霧に、僕は「ほっといてくれ」とかぶりを振る。

「まあ、とりあえず危機は去りましたし、飲み直しましょうか」

「そうだな。とりあえず、乾杯」

 僕と朝霧はお互いのジョッキをぶつける。きめ細かい泡が少量、テーブルに飛び散った。

     了

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