ショートショート③今日も今日とて(2020/07/28)
ああ今日も頭が痛いな。
何をする訳でもない自分に嫌気が差した自分を俯瞰することにも飽き、そのアイデンディティを喪失しつつある今日、布団でごろごろするのにも飽き、本当に息しかしてないというのにも飽きた。そう全てに飽きてしかいない。という謎の何もしていないマウントを取りつつ平静を装う。
外では明るいフリをしていて今日も暗い文章で整合性を取って、自分の善悪のバランスを取っている。といっても端から見ても、主観的に見てもどうしたって私は善人で、というより害のない人間で、特段世界に対して価値を提供できている訳ではないけれど、他者の公共の自由を阻害しているわけでもない大勢多数の人間だった。それに対して不満も全くなかったし、むしろ世間に染まっている自分に誇りすら持っていた。
しかし最近は明るくいることに疲れ、私生活に於いても若干の暗さを帯びるようになった。とここでスマホについた脂が気になる。毎日拭いているのにどうしてこんなに脂ぎるのだろう。人間ってどれだけ汚いのだろうか、と疑問を抱きつつ、斜め前に座る知らない女の人のスマホがカフェのライトと反射して、目がチカチカすることが腹立たしい。呑気にLINEなんて送りよって、と思うけれど、たぶんきっと私もそんなもんである。自分の暗さに酔いしれる暇のある人間なのである。
話を戻すと、外で明るいフリをしてその反動で起こる暗い人間を必死に隠そうとしていたらもはや根っこが暗い人間ではないといけないような気がしてきた。わざと暗いフリをして影がある人間を演じる。演じるなんていうとまるで中学生みたいだけれど、実際自分は何歳かなんて分からない。もしかしたら今もまだ中学生かもしれない。
あ、またあの女が反射させてくるチカチカが気になる。
あの女のせいで今考えていた思考が消えてなくなってしまったじゃないか!と一瞬の言い訳のもとにしてみようかと思ったが、ただスマホをいじっていただけでこんなに裏でうじうじ言われているとは思いもしないだろう。別にこっちだって本気で言っていないけれど、まあ少し文句は言いたくなっただけなのだ。心のなかだけでも毒突くことを許してくれ、と一瞬思うが、そういえばなぜか女は男より罵られる対象になりやすいことを思い出す。男を責めるときは「あいつ」のせいといったかたちでそこに性別はあまり付かないが、女を罵るときは「あの女」と性別がつく。それ自体が不愉快になり、思考を止めた。もしこのまま思考を続けたらどこまでいけるのだろうか。どうせ今日も堂々巡りで頭痛を助長するだけなのだろうか。
再び話を戻すと、何か文句を言うとき、大抵が自分のことを棚に上げる発言ではあるのだけれど、そういえば私は流行りの沿ったそれっぽい言葉を使う人が大嫌いなのだ。特に最近嫌いなのは「今日も今日とて」。使っている人を見ると、ああやってんな、と思う。
その人が勝手に使っているものに対してとやかくいう言う権利を持ち合わせていないし、こっちも勝手に嫌っているのだから不都合は全くないのだけれど、こういう勝手に嫌いになることなんて言うんだろう。
まあ別にいいんだけどね、という別によくない時のみ使う謎の捨て台詞を吐きながら今日も今日とて生きている。ああ腹立たしい。
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