井の中の蛙は不幸なのか
こんばんは。みきたにし☆です。
ステイホームなゴールデンウィークも今日で終わりですね。
来年こそはゴールデンなウィークになりますように。
ところで。急なんですけれども。
「井の中の蛙大海を知らず」
という諺があります。
「現代に生きる故事ことわざ辞典」1987年 株式会社旺文社 によりますと
井戸の中にすむ蛙は、外に広い海があることを知らない。自分だけの狭い知識や見解にとらわれて、他に広い世界があることを知らないでいるたとえ。(狭量で世間知らずな人をさげすむときによく用いる)
ふと疑問に思ったのは……これです↓
「カエルさんご本人は、そこまで不幸じゃないのでは?」
理由その1
「井の中の蛙」は、自分が住んでいる世界を「ここが全てだ!」って信じている。
「外にもっと素晴らしい世界があるかもしれない。外に行きたい。壁の向こうには、きっと素晴らしい世界が広がっているんだ…」と考えていないため、きっと幸せである。
理由その2
「井の中の蛙」は、自分の考えに疑問を持っていない。「えっへん」という感じでエバっていたりもする。
わたしの意見は、世間様とズレていないかしら……、間違っていないかしら……という不安がないから、きっと幸せである。
理由その3
「井の中の蛙」は、現状に満足している。
そもそも、今の状況に不満を感じているようなら、とっくの昔に、井の外に出ているはず。
だから、「井の中の蛙」は、きっと幸せである。
例外として
「井の中の蛙」は、他愛のないことで「ドツボ」にハマる可能性もある。
自分の狭い世界で生きているので、ちょっと考え方をスイッチすれば答えが見つかるだろう?というようなことで、アイデアが浮かばず、思い切りつまずくことがあるでしょう。
そんな場合も、やがて独自の見解で結論付けることになるのでしょう。
なんたって「井の中の蛙」なので!
それで、もしも、結論付けてしまった日には、
「やっぱり自分はスゴイ!」ということになって、「井の中の蛙」の度合いが深まることになるでしょう。
まとめ
ふと思ったんですが、
いったんは「井の外」を覗き見たことがあるけど、「井の中」のほうが居心地がよいと気が付いてしまい、もともといた「井の中」に戻ってきて、「井の中の蛙」として生きることを選んだ人、というのも、おられるかもしれません。
どっちにしても、「井の外」にいる人が「井の中」にいる人のことをバカにする必要もありませんしね。
「視野を大きく持てよ!」とか、「自分だけの世界で完結させることはないだろ」とか言って、「井の外」を見せようとしたりね。
もしかしたら、井の中から飛び出すことによって、何かを開花させる人もいるかもしれません。
でも、自らの意思で「井の中」にいることを決めている「頑な系のカエルさん」には、何を言っても「カエルの耳に念仏」でしょうね。
そんな言葉はありませんが(-ω-)/
その場合は……
あー、あの人は「カエルちゃん」なんだねって微笑んでおけばイイんじゃないかな?というのが、わたくしの持論です。
(わたしもカエルかもしれませんし)
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