見出し画像

これが対処法…かも

前回は思い込みの弊害について、最近の実体験を通して改めて肝に命じたことを書いたのですが、その中に「マウントを取られたときの対処法を考える」ことが入っていました。

実は、私、マウントを取られていることにほとんど気付かないオメデタイ性格というか、マウント鈍感症というか……そんな欠陥人間なので、友人に「こんなことがあったのよ」的に話をすると、「あー、マウント取られていたんだねぇ」と教えられることが多々あります。

そもそも、人より優位に立ちたいという欲もないし、20代の頃から自分が負かすべき相手は“己の怠け心”と思っているので、基本的に他人のそういう上下感覚には興味ゼロ。まあ、これが奏功しているようで、マウントを取られようが屁でもないし、最悪でも「面倒くさいなぁ」と思う程度。

ただ、今回はnoteにも書いたことだし有言実行だな…ということで、実際に対処方法を10分くらいサクサクッと調べてみました。そして、行き着いたのがこれ。

器の大きい人は共通して相手の「ここ」は信じない(小野田サトシ)

私が何か調べる際にありがちなのが、最初とは方向性の違ったものに興味が移ること。上の動画は偶然タイトルが面白いと思って見たのですが、途中でライティングの話が出てきたときに「大ヒット!」と喜びました(翻訳を生業としているため文章ネタに反応しちゃいます)。10分程度の動画ですので、興味のある方は時間のあるときにご覧ください。

そうなんですよね、人ってちゃんと聞いたり見たりしているようで、実は丁寧に見聞きしていない。小野田さんの仰る通りです。それを大前提にして「じゃあ、どうするかな?」と考えるのが、何事においても最善の対処法だと思います。

この大前提を踏まえると、マウントを取る人というのは、相手の話の一部を聞いて、そのポイントを蔑むか、それよりも凄い自分を表現することで、自分が上ということを表示するわけですよね。つまり、そのポイントこそが、その人が最も意識していることで、それ以外には意識が向いていないということ。

確かに、マウンティング対象のあらゆるポイントを網羅して、ガッツリとマウントを取られたぐうの音も出ないでしょう。でも、そもそも、それほど俯瞰的かつ客観的に対象を捉えられる人は、確実に優秀であり、マウンティングに興味すらないはずです。

結論:
「マウントを取りたがる人は、その視点、その方法において中途半端」であり、「所詮、相手の話を丁寧に聞いていない」ので、たとえ面倒くさい人だなとうんざりしても「無視」するのが一番。何を言われても完全に受け流して、一切反応しなければいい。

他者にあまり興味のない私ですら、「自分の気分を良くするために相手を不快にする」という行為自体が、「人としてどうなの?」と素直に思うわけです。ただし、無意識に自分もやっている可能性は否めないので、これは、時々意識して省みるべき点だなと改めて思った2021年の勤労感謝の日(仏滅)の朝でした。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?