「かがみよかがみ」にエッセイが掲載されました

こんばんは!タイトルそのもののご報告です。

「私のコンプレックスを、私のアドバンテージにする」というコンセプトに惹かれ、ずっとどこにも出せずに抱えていたものを書きました。

掲載されているのは本当に素敵なエッセイ・記事ばかり。ぜひたくさんの方に「かがみよかがみ」をお知らせしたいです。




「自分のことを書く」ということを、私はずっと避けてきました。書くという行為は、好きでたまらないもの、価値のあるもの、素晴らしいものにしか適用してはいけない。そういう思い込みがあったからです。つまり自分のことは"そうではない"という確信があったのです。

近年、色々な方のnoteやブログ、記事を読んだり、自分でも興味を持ったことをやってみたりして、その考えは少しずつ変わっています。なんでもいいからとりあえず書いてみようと。そう思って細々とnoteをはじめました。

そしていざ書いてみると、書けるものは、今のところ自分のことくらいなのです。笑ってしまうほどに、私は特に何も持っていない。

でも、「書く」をはじめると、不思議とバラバラだった自分の中の体験が、一応の形になっていきます。空気中にあって見えなかった水分が、冷やされて触れる水になって、さらにかたまって持てる氷になる、みたいな感覚で、自分にあった出来事やその時の気持ちを立ち上げているような気になります。

悲しかったこと、くやしかったこと、呆然としたこと、うれしかったこと、はっとしたこと、しあわせだと思ったこと…まぜこぜになって見えなくなっている記憶を、少しずつ紐解き、ほかの人にも見えるようにする作業。やってみると、頭でわかっていたはずの自己像が、自分の体験が、その意味が、どんどん変わっていく。おどろきました。苦痛でもあり、快楽でもあると思いました。

完全に、自分のための、利己的な行為です。見たくない人もいるかもしれない。見られたくない私もどこかにいる。でも、これ以上自分の中だけで「自分」を消費してもしょうがない。書くことは、空転していた車輪に進むべき道を踏ませてくれるような、そんな存在になりました。

どこかのどなたかが読んでくれているというのは、私にとっての「希望」なんだと思います。もし私の書いたものごとが、読んでくれた人に伝わったら、なにかの役に立ったら、とても嬉しい。それは大変利己的で、身勝手な願いだけれど、どうしても込めずにはいられません。

今でも、自分のことを書くのはこわいです。でも、くだらなくても、ほめられなくても、書いていいかもって今は思っています。私のコンプレックスでも、どこかの誰かの、何かの力になれるかもしれないし、そうじゃなくても、私は霧散していた想いをかき集めて1つにすることができた。この行為に意味はあると、そう思いたい。

そんな感じです。

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